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2013.6.28
オーディオ物語 音の秘密? その1
物語として書こうと思う。在米当時と帰国後が回想的に前後するので、時間的にややこしいがそこは無視してもらうしかない。どこまでがノンフィクションかは想像におまかせしよう。ここは米国ニューヨーク、東京のある大学の工学部を卒業した私は迷うことなく1970年当時に米国では中堅のオーディオメーカーS社に就職した。真空管アンプやスピーカーを自作しては壊しの毎日と同じくオーディオの毎日を続けたかったからである。この会社は真空管アンプメーカーとして有名だった。従業員数は約100名で開発担当者は外装デザインを含めおよそ20人、会社の中心とも言える部門であった。アンプやスピーカー、アナログプレーヤーなど個人がそれぞれ決まった機種の開発を担当するシステムを取っていた。当時日本はオーディオ製品の大きな販路であり入社したての私は日本への輸出担当となった。その頃のハイエンドオーディオ製品であるがすでに真空管式のマランツやクオードは未来志向のソリッドステートアンプに移行しつつあるときだった。後にマランツ7が大変なプレミア価格になるとはだれもが予想していなかったのである。
2013.6.24
宇野功芳さんが最新号レコード芸術誌でインフラノイズ製品を大絶賛された。後にも先にも音楽評論家がオーディオケーブルを褒めちぎるなんていうのは世界でも初めてのことに違いない。先月アナログリベラメンテとクロックリベラメンテを持って宇野さんのお宅に伺った。この製品の記事を書いて欲しいとかで頼みに行った訳ではない。宇野さんの喜ばれるようなものが出来た時にはそれにかこつけて遊びに行く。
今回は驚いた。凄い音でとても良くなったと何度も電話がかかってきた。おまけに連載している自分の頁に書くからと言って製品内容を聞いてこられた。オーディオのことは全く解らない人なのでこれが一番困る。なぜこんなに音が良くなって、非音楽的な雑音が消えてしまうのかと聞いてこられる。言葉で簡単に説明がつけば誰が造っても同じものが出来る。材料のこととか造りかたとか説明したが解ってもらえない。仕方がないのでオーディオをやっている方は音を聴く人と音楽を聴く人があって、音楽を聴く人にとっての余計な音は音を聴く人には素晴らしい情報量と価値あるものになるものだと言った。
案の定この真意は電話では伝わらなかったのでとても誤解を招きやすい文になっている。
リベラメンテケーブルはフィルターの作用があって雑音は通さないと読み取る人も出てくるに違いない。まあこれは致しかたがない。宇野功芳先生はオーディオはまるで解らないからケーブルの説明は無視して先生が本気で喜んでいるから良いものに違いないと思う方がレコード芸術誌の読者の殆どなのだと信じることにしよう。
2013.6.21
私の親友には大道芸人がいる。
路上でヴィオラを弾き、帽子の中に投げ銭を入れてもらうあれだ。
彼は高校一年生の時のクラスメートだった。有名な受験校で、その隣の
中学校を一番で卒業してきたので志望大学は東大か京大におよそ決まっていた。
音楽好き、オーディオ好き、映画好きということですぐに仲良くなった。
秀才タイプで音楽家だから一見おとなしいが、なんのなんの、F-1に熱中したり、
リュックサック一つでコルシカ島に出掛けるくらいの男らしい性質である。
しかし当時その高校範囲でなら不良に属する私に彼は引っ張りまわされた。結果クラスでの成績は後ろから数えて一番か二番で私と争っていた。いつもどんけつでは級友にバカだと誤解されるので、これは具合が悪いと思い二人で生物だけはテスト直前に勉強しようとしめし合わした。結果は彼が一番、私が二番だったのだが先生が順位を発表するとクラスの全員がどっと笑った。音楽のテスト、特に歌などは彼に勝つことは全くなかった。まあこの頃から彼はオーケストラでヴァイオリンを弾けるくらいだったから当然か。
こんな調子だったので二人とも一流国立大学には行けなかったのではなく行かなかった。
彼は人前でまるで誇るように言う、こいつのおかげでエリートコースにのれなかったのだと。彼は薬品の発明家?開発者?どう言うのかしらないが難病の新薬を見つけたおかげで知らぬ間に医者になっていた。このへんの事情はよく解らない、たしか医大に行ってなかったと思うのだが?まわりには勉強しないで医者になった奴なんで一人もいないのに。
その彼が大道芸人になったのも私のせいだと言うのだろうか?普段は大学のオーケストラや地方のオーケストラでヴィオラを弾いているのだから不思議な人だ。
時々時間があえば路上で弾く彼やその仲間の人と接して別世界を味わった。
先日家内がスポーツジムのダンスの先生がイベントをなさるので同行して欲しいと
チラシを持って帰った。なんとそこにはちょび髭をはやした彼の顔がある。万難を排して出かけることにした。なにしろ家内と私の両方での知り合いであるお二人のイベントなのだ。会場の橋本亭にも興味がある。ダンスの先生は美人で純粋な感じの方である、彼の伴奏によくあった動きをなさった。彼のヴィオラは暗い雰囲気をかもし出そうとはしていたが彼の性質を良く知る私には努力に聴こえた。外からは少し内省的なネクラな人に見えるかもしれないが、とんでもないネアカな人である。まあ少し、否、大分に○○だが。
クラシックの演奏とはほど遠い伴奏だ。ロングトーン、アッタク取り混ぜてメロディーは全くない、ジャズでいえばフリージャズの分野にでも入るのか?少し練習すれば私でも弾けると思いたいが、これはとんでもない間違いだ。彼はヴァイオリンでバッハの無伴奏ソナタからブラームスコンチェルトまでこなせるほどの腕前だが、途中からより内省的な表現を求めたのかヴィオラに転向した。ピカソの絵ではまるで幼児が画いたようなのもが多くあり、だれでも画ける絵のように思える誤解と同じだ。ピカソのデッサン力が素晴らしいからこそ崩せる訳だ。彼のバッハもこなせる基礎があってこそのフリーヴィオラなんだろうな。
そのうち彼のお仲間もここで紹介することにしよう。
でもあまりにもアングラすぎて極めて真面目なオーディオメーカー、インフラノイズのイメージが誤解されることで躊躇せざるを得ない。
2013.6.19
ギタリストは有名なギターにもともと使われていたフレットと新品の日本製を数種類用意してくれた。それらをオーディオの部品として使ってみることで音色を調べてみた。
圧倒的に良いものはギターのストラディヴァリウスとも呼ばれるスペインのトーレスに使われていたものだった。先述のアキヤマフルートさんで使われている銀の食器が製造された時代と重なるかも知れない。ただしフレットは銀ではなくて洋銀なはずだ。ロベルトブーシェのはその次でトーレスの音を少し近代的なものに変化させた感じで軽い音であった。後で知ったのだがロベルトブーシェという方は画家でトーレスの楽器を研究されていたとのこと、納得のいく話であった。その他はスペインの有名なギターのものでそれぞれの音があったが特に印象には残っていない。際立ったのはなんと日本製のもので、他のものとは比較にならないくらいに差があった。もちろんただの金属音でしかなかった。日本で入手の簡単なネジや部品の音だた言えば解っていただけるかもしれない。結局入手したいくつかの新品のフレットを聞き比べて良いものを選んだわけだが、ブーシェのギターに打ち変えたフレットはもともとブーシェに使われていたものと良く似た音のものになった。
古い木造の教会、高い天井、その結果の良質な残響。
トップクラスの録音機材と2拍子はそろったが、
残るは録音技術者の腕と演奏者の腕。
その頃はもう一つ難関があった。マスターテープをデジタルに変換すること。
スタジオでスチューダーのレコーダーから当時の業務用VTRを利用した方式で一連のSONY製デジタル録音機。これは当時殆どのスタジオで使用されていた。この作業でデジタルマスターを再生して全てを失ったかのごとく落胆した。現在の我が家でのデジタルシステムの音、一般の市販CDの再生での音質と比べたらとんでもなくひどい音だった。このひどい音が大量生産のCDになってさらにさらにひどいものとなった。
失望の塊でしかなかった初めての録音のCDが現在我が家で再生すると教会で録音直後のマスターテープ再生に非常に近い音が出る。これはGPSクロックのおかげである。極めて精度の高いクロックはパルス音の復活を可能にするのかもしれない。音の鮮度とパルス波形の精度は重要な関連があるように思える。GPSクロックが無ければ落胆の状態が続いていたに違いない。デジタル録音再生はデーターが変化しない限り音質は劣化することはない。この理論は正しかったようだ。しかし、ただしがつく。極めて良質のクロックと一歩踏み込んだ音楽のためのオーディオ機器があってという条件付きで初めて成り立つ理論である。デジタルオーディオ技術はさらに発達するのは間違いないだろう。アナログとデジタルとどちらが優れるのかなんてオーディオの話題はいずれ消えてしまうだろう。
終り
2013.6.17
映画館には年に2-3度くらい?
昨夜家内と一緒に華麗なるギャッビーという映画を観に行った。
3Dシアターの上映しか時間が合わないのでどちらかというといやいや行った感じか。
ともかく眼鏡をかけているのであの立体眼鏡を眼鏡の上に二重にかけるというのがうっとおしい。おまけにあれのおかげでただでさえ暗い画面がもう暗くてたまらないのが嫌だ。
立体映画というと昭和20年代に幼児の頃だが親に連れられて観た記憶がある。
それと中学生時代にオカルトで骸骨面とかの題?の映画を友達と観に行った。
立体映画はもの珍しくは出てきてはすぐに消える、映像技術が向上したのか近来のはレンタルビデオやブルーレイレコーダー、薄型大型テレビなどとの絡みもあろうがけっこう長続きしているように思う。アバターとかSFや戦闘もので何本か観たが立体になったから値打ちが上がるというような映画は無かった。大型画面なら立体でなくてもかまわないのばかりであった。他にもたくさんあるので私が知らないだけなのかもしれないが。
ところがである。立体映画否定派?の私が喜ぶようなのが現れるとは夢にも思わなかった。
この華麗なるギャッビーは立体映画であることを意識して造った作品だったのだ。
新たなる表現素材として立体を選んだスタッフに拍手を送りたい。
貴方たちのおかげで芸術作品として初めての立体映画が出来て今後も続くことにおおいに期待を持てる。
(他にいいのがあったのならすみません、まあ部外者なのでお許しを)
立体眼鏡のうっとおしさと画面の暗さは許せないが、映画美での経験は初めてのものだった。
映画好きの方は見逃せないです。
2013.6.16
クラビベースという名前のアコースティックピアノ用音質改善装置を造っていた時がある。当時インフラノイズで販売していたオーディオアクセサリーの一つ、インシュレーターをピアノ用に改造して試してみたら予想外に音質が向上した。オーディオインシュレーターの超大型と考えていただければ想像可能かと思う。木質とか、木目の違いによる差、また最終的にバフで磨いて艶をだすのだが、その磨き具合で音質が変わったので製造はけっこう大変だった。企画と製造はインフラノイズがやって販売、販促は間に入った会社にまかせた。響きの少ない日本製のピアノに使うとまるでスタインウエイやベーゼンドルファーみたいな豊かに響きに変わるといううたい文句でけっこうな数が売れたが、時代は急激に(ピアノ売ってちょうーだい)に突入しかけた時であったのでマーケットとしては先ぼそりそのものであった。なぜか東芝EMIというレコード会社が販売の拠点で最終的にはヤマハやカワイが手がけていた。
海外にも販路をと担当者はなんとニューヨークスタインウエイまで出かけて行った。その結果はスタインウエイのピアノはそのようなアクセサリーの助けを借りなくても充分な能力を備えておりますと門前払いをくわせられたらしい。だれが考えても当たり前のことなのだがそれをあえて航空費までかけて行った情熱は尊敬すべきなのだろう。やがて間に入った方とうまく行かずこちらから一方的に製造を断ってしまってずいぶんになる。
営業の側から音が良くなる理由を科学的に説明してくれと何度も頼まれた。科学的に音の波形がこのように変化するので効果があるなんて説明が出来るなら、ストラディヴァリウスがとんでもない値段になるわけがない、なんて常日頃思っているので断りたかったが押し切られた。ヤマハの自動ピアノを別荘に置かれている方に助けていただきスペクトラムアナライザーを用意して出かけた。自動ピアノだからオルゴールのように何度も同じ演奏を繰り返す。クラビベースを敷いた時と外した時の倍音の違いをグラフで見ようという試みである。何度か繰り返したが、3倍音から上の奇数時倍音のグラフに差があるように見える。まさかとは思いながらやはり差が出ると何か発見したようでうれしくなってくる。念のためにとクラビベースを敷かずに同じ状態何度か同じ曲でグラフを出した。思わずため息が出たのを思いだす。敷いた時と敷かない時の差と同じように3倍音の上から変化が見られる。同じことを繰り返しているのだからそっくり同じ倍音構造でないと困るのに。自動ピアノは本物と同じアクションを使う。演奏者が同じ曲を弾いても全く同じ音が厳密には2度と出ないのと同じ理屈でいくら機械のソレノイドが打鍵しようとやはりタッチはばらつくのだった。パチンコのハンドルを固定して自動的に玉を打っても同じところに行かないのと同じだったのだ。というわけでこの試みは笑い話になってしまった。
ちなみに社名インフラノイズの意味であるが。創業当時のオーディオ界は測定値が看板になっていて、歪が何パーセント以下、ノイズが少ないから音がよい、シャーシーが丈夫だから音が良いなど幼稚な宣伝が主流だった。特に大手家電メーカーのオーディオの広告では著しかった。そこで反抗心からではないが、音の秘密は測定可能な歪やノイズの内側に隠されたものであり、測定して出てくるようなものは秘密にあらずと社名にしてしまった。ところが、ゴロがわるい、インとは陰に通じて良い印象なし、フラはふらふらして安定しない、インフラはインフレと通じてマイナスイメージ、おまけにノイズとは悪いものだと散々に言われた。でも30年以上経った今ではこれを克服できたのか社名での悪口は聞かない。
話が脱線してしまいましたが、会社の倉庫でクラビベースが少し残っているのを見つけました。ご本人、家族の方がピアノを演奏されて音にこだわられるのなら差し上げますのでインフラノイズへ直接お電話ください。ただし先着順ですのでよろしくご理解ください。
2013.6.13
クラシックギターの録音を頼まれて神戸の古い教会で録音を経験したのが初めてだった。
1991年だった。神戸大震災でその教会はもう存在しないと思う。
そんなおぼつかない録音が市販のCDになった。でも出来は別としてけっこうオーディオ的には凝っていた。録音機はスチューダーのアナログレコーダー、録音速度は38cm/Sec.の倍速で76cm/Sec.だった。見ていてあまりに速く風切音も大きく、テープが切れそうで怖かったのを思い出す。ミクサーもスチューダー、マイクはノイマンでワンポイントプラスホール残響と最小限の本数。今から考えて見るとなにも知らないのによくやったものだ。でも機材は素晴らしいので、自分で言うのは変だがうらやましい思いがする。またこんなのでやってみたい。
楽器はフランス製のロベルトブーシェ、比較的新しい時代のものだが銘器である。その楽器のフレットを奏者が録音前に交換したいという話が出た。
続く
2013.6.11
楽器と金属で検索したらこんな方が見つかりました。
《更なる可能性を求めて不均一な管を作る。
http://www.akiyamaflutes.co.jp/sp/#company
フランスでルイロットが製作されていた同時代の素材を再現することが同じ響きの楽器を作ることにとても重要なことだと考えました。ルイロットの楽器の分析は以前からインターネット上にも公開されていて資料は手に入れることは出来たのですが、同様の素材を作ることは量的に考えて不可能でした。そこで思いついたのが同時代の銀食器を手に入れることでした。同時代の銀食器を素材に、全て手作業でパイプを作ることにしました。内部に独自のひずみを作ることでより豊かな響きを実現できたと考えています。》
大手の楽器メーカーではなく小規模の楽器メーカーのようですがとても頑張っておられます。音なんて良い悪いに絶対があるわけなく、あくまで個人の価値観、美意識で良い悪いが決められます。分析して、議論して順位を決めるなんてことは考えられないはずですが?このような小規模のメーカーの製品はそんな議論の対象になりやすいらしく、ああだこうだと否定的なコメントをつけられることはよくあります。また楽器は演奏者なしでは評価できません。誰が鳴らしても良い音がする楽器が一流の演奏者が選ぶとは限りません。では絶対評価は有り得ないのでしょうか?あるレベルから上はランクを付けることは出来なくて、それ以下のレベルではランキングは可能だということはあるでしょうね。確実なのは揺るぎがたい歴史的な評価でしょう。
ピアノではこんな話があります。歴史的な銘器のオールドピアノを修復される調律師
に聞いた話です。いくら錆びていても素晴らしい音のするピアノのワイアーを交換するのは嫌です。世界的に有名なドイツ製新品ワイアーに交換すればその持ち味は失われてしまいます。よほどのことがない限り止めたほうが良いです。これもその時代の金属組成に原因するのでしょう、ウエスタンの真空管300Bのレプリカはたくさんありますが、オリジナルの刻印を超えたというのは聞いたことがありません。大手の楽器メーカーでさえ出来ないことをオーディオメーカーでは規模的には(規模が大きくても無理かな?)とても無理な話なのでオリジナル300Bを超えるものは出てこない。真空管の場合は形状が複雑だし、ガラスの音もあるし。ガラスも金属と同じで組成により音質が変わるのは当然でしょう。
続く
2013.6.10
続く
2013.6.7
金属の音は謎の音。
オーディオでは鉄の音、銅の音、チタンの音などを聞き分けていろいろな音の金属インシュレーターが製造されている。線材では銅が主な材料だが不純物の割合を競って○○Nとの表示で値段に関係する。不純物が少ないものほど製造が大変でコストがかかるのでイメージとしては高級イコール純度となりオーディオ製品としては値段が付け易いのでオーディオメーカーとしては好ましいことなのだろう。不純物が含まれているので音が良くて値段も高いという製品は聞いたことがない。
ところが楽器の世界では銘器に使われている金属は不純物が含まれているものほど良い音がするということは今では常識である。全く正反対で不思議なことである。理屈をこじつけてみれば楽器は個性があってあたり前なので、演奏して音を造るのだから不純物入りの個性音は好ましい。一方オーディオではいろいろの音を再生しなければならないので無色透明なハイフィデリティーほど好ましく、不純物の少ない純粋な材料がよい。
このこじつけはオーディオビジネスでは便利だがはたして真実はどうなのか?
以前楽器のアクセサリーを開発していた関係でヤマハ楽器本社をお訪ねしたことがある。その時に開発関係の役員をしておられた梶さんに興味深いお話をいろいろうかがった。
実際にお会いする前から梶さんのことは新聞記事で存じており、お会いするのが楽しみであったことを思い出す。スクラップブックから年月の経過で黄ばんだ新聞の切り抜きを探し出した。とても興味深い話である。オーディオとは無関係とは思えず切り抜きを大事にしていたのだ。
続く
2013.5.27
おそらく音質を看板にしたアンプやCDプレーヤーを含めても天板や、底板を外して音質が劣化するくらい完成度がある製品は今どれだけあるのだろうか?鉄板は磁気材料だから音が悪いといい、銅板にする。結果明るい銅の音がむき出しになってしまう。それではダンプしてみたらと、ブチルゴムや軟性の合成樹脂を貼り付ける。結果なんともくすんだ鈍いダンプ材の音質が付加される。筐体というのはオーディオ製品ではなんともやっかいなものなのだ。その点アマチュアは楽だ。真空管アンプならシャーシーの音を嫌うなら木製にすればいい。ただし木製と言っても必ず良くなるとは限らない。今度は厚さ、形、種類で変わるからだ。こうなると基板オーディオがいかに優れているかがお解かりになると思う。
ではオーディオ製品で天板や底板を外したら音質が劣化するのはあるのか?思いつくのはマッキントッシュのアンプだ。天板を外すとジャズ再生に適したあの音質が薄れる。さすがである。ただしマッキントッシュ製品全部がそのくらいのチューンされているのかどうかは知らない。このことに気づいたのはずいぶん前、C—22とか真空管アンプの頃の製品だ。その外した天板をラックスのアンプに付けてみて驚いた。マッキントッシュ的ななんとも味のある音質に変わったことを思いだす。
すごいのはノイマンのコンデンサーマイクの網カバーだ。カバーを外しマイクカプセルの見える状態で録音してみるとなんとも具合が悪い。さすがである。
そうだ思いだした、ロジャースLS3/5Aである。天板ではないが前面のスピーカーネットを外すと全くだめである。まあ数少ないオーディオ製品がこのレベルで製作されたのだろう。
最後にPCオーディオに真剣に取り組んでおられる方に。
ハードディスクにファイルを取り込むよりUSBメモリーに取り込んだほうが確実に音質がアップする。ただしそのUSBメモリーはプラスティックのカバーを無理やり壊して中身をむき出しにしなければならない。
そうです、USBメモリーの基板オーディオです。優秀です。
2013.5.24
基板オーディオとはなにか?
友人のM氏との会話の中で自然と生まれ出た言葉である。昨今のオーディオ誌のオマケになった小さなUSB-DACとかデジタルアンプがその代表的なものである。もちろん二人の間だけでの造語なので消えるか、残るか?はわからない。
ずいぶん前になるがオーディオ誌で製品の改造記事がいつも載っているのがあった。雑誌の名前は思い出せないが、2-3年で廃刊になった。オーディオの全盛期なのにそうなったのは広告のスポンサーが付かなかったとか、読者にあきられたとかの理由なのか?記憶に残る改造はアンプでもCDプレーヤーでも市販品の天板や底板を外せば音質が向上するという記事が多くあった。でもこれはメーカー側としてはやって欲しくないことだし、天板を外すことは改造と解釈されるかもしれないのでサービスが受けられなくなる恐れがある。電気回路がむき出しになるので感電という危険の可能性もある。だからオーディオ誌としては消えざるを得なかったのかもしれないが、そこにはなにか真実が隠されていなかったか?
オーディオアンプの開発方法はいろいろあるだろうが、まず一般的なのは回路を考えそれに従い部品を配線して仕上げて音を出す。その状態をバラックと言って電線と部品が絡んでいるので外部へ持ちし出すのは難しい、なにかのひょうしですぐ壊れてしまう。そのような状態で測定器にかけ回路動作を確認してヒアリングする。部品を変えたり、回路を変えたりしながら音を聴く。もちろん途中で音を聴かず回路に従って組んだだけで、回路動作が問題ないなら完成というものもあるだろう。
プリント基板上にきっちりと部品をつけないで部品同士をハンダでくっつけていくのを空中配線とも言う。バラックや空中配線の状態で音を出した時の音質を仮に100点とすれば、製品になる予定の同じ外観のボックスにこのバラックを入れて音を出せば点数はどうなるか?殆どの場合は音質は劣化して70点とか60点の音質となる。底板や天板などの共振音が電子部品を揺すぶり雑音が付加されるからである。そこで開発者はその対策を考える。底板や天板を分厚くしたり、重くしたりして共振を減らすことで音質劣化を防ごうとする。またハニカム形状にプレスしたりして剛性を高めたら鳴きが少なくなり害が無くなると考える。もうこの段階から天板や底板は音質劣化の付属品となっている。シールドという効果があるではないかと文句がついても、音質改善のためのシールドはそう簡単なことではないと却下できる。
こんな調子だから、オーディオ雑誌の付録USB-DACの音質が思いのほか良くて人気が出るのも不思議はない。付録の回路や部品と基本的には変わらないPCオーディオ製品が海外を問わずたくさん市場出ている。当然のことながら基板むき出しの製品はなく、デザインされたかっこうに良いケースに収まっている。このケースが音質にはなんのプラスも無い。ケースを外して中身だけで聴けば付録オーディオと変わらない音になるので音質は向上する。オーディオ製品では中身が音質確保のためむき出しの状態で製品になっているのはアナログカートリッジくらいではないだろうか?
続く
2013.5.13
業務用の空気清浄機を自宅に導入して約半月になる。
家内は一年の三分の一は花粉症で苦しんでいる。私はヒノキとブタ草、黄砂、ホコリくらいは感じる程度。空気清浄機は大手家電メーカーのものからオーディオのティアックでなぜか販売してたのとかを使ってきた。どれもまあ効果はあるのだろうという程度の印象で最近では大手の電動ファン付マイクロフィルター式のものを2台使っている。
今回は友人の紹介でサリールというメーカーのものを知った。ステンレスのボディがいかにも無骨、業務用なので家電製品のイメージは全くない。
CD棚の上の天井に近い場所に設置した。イオン方式で電動ファンがなくフィルターもない。
つまり無音である。ところがかなりの風が吹き出してくるではないか?8連酸化チタンパイプの電極ユニットがありフロントパネルの8つの穴から風がでる。これには感激した、 7年にわたりとてつもない距離をけなげに地球に帰ってきたハヤブサの推進器、イオンロケットを思い浮かべてしまった。まあ原理は似たようなものなんだろう。片方は真空中で働くから風は出ないだろうがイオン噴出してその反動で進むのか?そのくらいに頼もしく感じたのはなぜなんだろう。
少しオゾンの匂いが今までのものより強いが、これは強力さと裏腹の現象だろう。はたして今まで使ってきたものと比べどのくらいのものかはすぐにはわからない。半年くらい経てば解るかな?でも空気のクリーンさは今まで経験したことのない感じだ。そう山に登って森林浴をする感じに似ているかも?
もうひとつ重要なことがある。オーディオでの音の違いである。I先生はティアックの大型をリスニングルームに入れておられた。最初に空気もいいし音も良くなるとおっしゃっていた。スイッチを切ったり入れたりして試さしていただいたが格段によくなったという記憶はない。では今回の我が家ではどうなんだろう。早速試してみた。
試聴に選んだCDはオーディオでは非常に鳴りにくいソースとしてトップクラスであるもの。ブダペスト弦楽四重奏団のベートーベン、ラズモフスキー第1番。一般的な装置では弦がキーキーとやかましく、とても楽しむというような音は出ない。
まず一日はサリールの電源を入れず翌朝オーディオ装置のほうの電源を入れただけで聴いた。まずまずいつもの音である。ゆっくり久しぶりで聴いてみたい気分である。5分ほど出だしを聴いてから、サリールのスイッチを入れる。20分ほど経ってから同じところを聴いた。抜けが良くなったというのか、音が伸びる。でも少し弦が細く、弾きこむ前の楽器の音のような感じもある。そこでサリールの電源を落とす。これは素晴らしい、抜けも良く豊かで申し分ない。サリールの電子回路での影響は当然予測されたので問題はない。まじめに聴くときは電源を切るべし。でもこれは曲とか装置で異なるので電源を入れたままでも問題はないのが普通かもしれないがこれは最高の音質レベルでの判断だ。
残るはサリールが本当に効いたかどうかの裏を取らなくてはいけない。
今まで幾度もやってきた実験。室内で殺虫剤や化粧品のエアゾールスプレーをほんの少し撒く。そしてヒアリング。ものにより音は異なるが良くなった例はない。その音質の劣化を確認してから排気ファンを5分回して再びヒアリング、音は回復する。このような実験を過去にはよくやったものだ。
今回は何かを撒くのでなくて逆に空中の微粒子を取って?きれいにしてから(でもマイナスイオンとかは加えたことになるのか???)排気してみる。5分してからヒアリング、いつも聴いてる音になった。あの抜けのよい音の伸びはやはりサリールの効果に間違いない。
私がサリールのメーカーだったら即オーディオマーケットに紹介するだろう、そのくらい音質が向上する。来年にはオーディオマニアのリスニングルームには業務用の空気清浄機は必需品となるかもね。
ただし一般家電の空気清浄機と比較したわけではない。でも音の悪さが空中に漂う微粒子だとしたら家電用のと今回の業務用では細かいものを取る能力には大きな違いがありそうな気がする。データーがあれば音との関連が明らかになることだろう。
2013.4.30
インフラノイズの新製品にいつも興味を持っていただいているオーディオマニアでやまてつさんという方がおられる。毎日必ずブログを更新されるので有名。またたくさんのオーディオ友達がおられてお互いのリスニングルーム訪問が盛んで家族サービスはいつやっておられるのかと心配になってしまうほどである。
そのやまてつさんのブログを今朝見てとてもうれしかった。リベラメンテケーブルの目的と他のオーディオケーブルとの音質差の根本的な違いに気づいていただいたからある。音の感性に対する意見はなかなか述べることは出来ない。人それぞれ違うし、好き嫌いもある。食べ物でこっちが好き、酒ではこちらがいいとかと同じである。なのでこちらが最も大事にしている部分に賛同していただくのが製作者としては一番うれしいことなのである。
今回はケーブルを交換するだけで演奏のテンポが変わって聴こえる現象に気づかれたのだ。
テンポというとメトロノームを思い浮かべるように1分間に四分音符が何個あるかというあのことである。ところが本当のところ1分間に何個あるかというのは単なるガイドであって決められたことではない。音楽用語でモデラートというとどのくらいかというのを解りやすく言っただけなのである。極めて感覚的な言葉であってあくまで基準はない。感覚によって早く感じたり、遅く感じたりする。塩の濃度が0.5%の味噌汁をいつも同じ塩辛さに感じることがないのや、人により甘辛の感覚に大きな差があるのと同じで極めて曖昧な基準なのだ。
ちょうどうまいタイミングで宇野功芳さんの著書、目指せ!耳の達人でテンポにたいする記述がいくつかあったので引用させていただく。
ようするに人間の時間感覚だ。事故とか危ない目にあったときとか、ずいぶん長い秒数に感じる。一時間くらいうとうとしたと思ったのに5分しかたってないとか。これがテンポそのものなのだろうな。
やまてつさんはブログにてこのように表現された。
「フィリッパジョルダーノをもう一度・・・おお!何と曲がゆっくりに聞こえるんだろう?・・・SN感が良くなったからか、背景が静になって、ボーカルがグッと浮き上がった感じに・・・で、声の力の入れ方に、微妙に強弱を付けていて、歌詞の抑揚が分かりやすくなった気が・・・ベースの音はブレが収束したように太くくっきり聞こえる感じに・・・空間の広がり具合も大きくなった・・・良いんじゃない?
もう一度、クロックケーブルを、元のSilver Runningに戻して見ると・・・肩の力が抜けたと言うか・・・歌の強弱が無くなって、一本調子な印象に・・・ベースやバスドラの低音が少し太く柔らかくなったと言うか、逆にCLKリベラメンテでは、締まってたってことかな・・・
じゃ、お次は、デジタルケーブルのみ、インフラノイズのデジタルリベラメンテに変えて試聴・・・
おお!一層ゆっくりに聞こえる・・・DGリベラメンテの方が、曲想がハッキリすると言うか・・・より歌詞を丁寧に歌っているように感じると言うか・・・優しく力の入れ加減の強弱が分かる感じ?・・・ベースもうねりがはっきり着こるようになって・・・バスドラもためを感じれる・・・
じゃあ、DGリベラメンテに加えて、クロックもCLKリベラメンテに変えてみたら?・・・
うひょ~!また更にゆっくり・・・と言うか、もの凄く大切に、気持ちの限りを込めて歌ってるって感じに・・・音の透明度がスッと上がって、個々の音はスッとブレが無くなってシャープなイメージ・・・で、DGリベラメンテで、ちょっと太く緩い目に感じた低域が、スッと締まった感じに・・・高域の金属打楽器が綺麗にスッキリ聞こえるように・・・
っと、これに気をよくして、DACとプリ間のインコネもリベラメンテに変更したら・・・
う~わっ!めっちゃゆっくりになった!(@@;・・・余韻の響きがより聞き取りやすく・・・ああ!ベースがグッと下から太くクッキリと・・・バスドラも力感が出てきた・・・高域の金属打楽器が、非常に綺麗に、安らぐ感じ・・・)」
テンポと同じようなことがまだある。それはピッチだ。
CDの黄金時代にデジタルオーディオはピッチが狂っていると主張したあげく
オーディオ界から抹殺されてしまった人もいる。
また機会があれば書いてみたいと思う。
ピッチは440Hzとか444Hzとかの意味ではない???
2013.4.23
宇野功芳さんの話題が出たので、ついでにと言う訳ではないが。
拙宅に来られた時のことを書いていただいたことがある。
EMGの蓄音器の音を聴かれて感激された話だが、オーディオ装置の音についても書いてくださった。もう5年も前のことになるので、その時の音は今となって恥ずかしいくらいお粗末である。EMGの蓄音器と比較できるようなレベルではなかった。しかし今は自信を持って言える。GPSクロックとケーブルの見直しでアナログもデジタルも比較する意味を失ったくらいに当時より音質は向上している。EMGの音とオーディオの音とを比較するのではないが、EMGの音の優秀さを充分に表現力の中に取り入れたオーディオの音になっていると思う。宇野先生にはぜひ聴いていただきたいと思っている。
以下の出典は音楽の友社、宇野功芳 楽に寄す 2010.12.31 発刊。
2013.4.22
オーディオでも証拠写真というものがあるのだなー。
宇野功芳さんから謹呈のしおり付の本が昨日届いた。宇野さんとはとても親しいのだが10歳以上上なので親友とこちらからは言いにくいので先生と呼ぶことにしている。意見を求めることはよくあるが。例えば100人のピアニスト人気ランキングみたいなのがあって、この人がこの順位になってるのはどう思われるかとか?殆どの場合は考えは一致する。でも好き嫌いは大きく分かれる。先生はブラームスのかげが嫌いだ。私はあの寂寥感を尊敬する。ジャズも全く聴かれない。ジャズのおじいさんであるサティなんか聴かれたこともないだろう。だから個人的な音楽の話はしない、喧嘩になるだけだから。
さてその本だがこの5月1日発売の音楽之友社、目指せ!耳の達人であった。宇野先生とオーディオ評論家の山之内正さんの共著である。オーディオと音楽の絡みがテーマのように思えるが、SACDがCDより優れることの再認識が目的のようにも思える。この本の中にある写真で楽しいものを見つけた。宇野功芳のリスニングルームを訪ねての頁にあった装置の写真だ。スチューダーD-727の左横に置いてある黒い箱はなんだろう。拡大しても型番までは見えない。
肝心の宇野先生のところのオーディオ装置の音であるが、山之内氏がこう述べておられる。
『機材が年季の入ったものが多いことはうかがっていたのでなにか古びた音がするのだろうかと想像していました。ところが実際は逆で、ダイレクトなクリアな印象を受けました。(古びた音というのはどういうものを想像されていたのですか。)古いオーディオにはありがちなのですが。高域が鈍って、くぐもったような音です。でも実際は違いました。』
最新式のハイエンドオーディオ装置やSACDをお聴きの山之内氏がそう言われるからには間違いないだろう。
宇野先生のヴィンテージ装置から最新のハイエンド装置に劣らぬダイレクトなクリアな音の出ることを読者の方が不思議に思われるのではないだろうか?ヴィンテージがハイエンドに負けなかった本当の理由がお解りになられる方はほんのわずかであることが残念だ。
でも証拠写真が残っていたのはせめてもの慰めでした。
2013.4.12
オーディオ製品で日本の音というのはあるのか?
あるように思えますね。
特にスピーカーシステムは感じます。海外へ輸出されるオーディオ製品はアンプとかプレーヤーはMADE IN JAPANと評価は高いがスピーカーはなぜか高い評価はないという話はよく聞きました。
アンプとかプレーヤー、カートリッジなどはある程度の基本的な音があります。構造、方式など異なっていても物理的な特性を満たせばとんでもない差は有りません。ところがスピーカーはまったく同じ方式で物理的な特性が同じでも大きな音質差が生まれます。
スピーカーほどではありませんがカートリッジでも日本の音は明らかにあります。音楽についていろいろ教えていただいたI先生のところにDENONの代表的カートリッジDL-103を持って行ったときのことです。DL-103は聴かれたことがなく大変興味を持っておられました。当然に常用オルトフォンSPUとの比較となりますがその第一声は「NHK検聴の音や」でした。先生は長らく全国児童コーラスコンテストの審査員をなさっておられたので
NHKのミクサー室で録音テープを何度も聴かれていたとのことでした。私にもその意味がすぐに理解できました。当時NHKのモニタースピーカーは三菱ダイヤトーンが殆どだったと思います。DL-103の音が三菱ダイヤトーンの音とそっくりということは日本の音があるという証拠だと思います。でも先生は日本の音はどうもお好きではないような感じでした。
私も中学生の頃からP-610やパイオニアの16cmダブルコーンを自作のスピーカーボックスに付けて聞き込んできました。後年に同じような寸法のドイツ製スピーカーのテレフンケンやシーメンスを始めて聴いて驚きました。これほどの違いがあるのか、かたちや大きさは同じようなものなのに。歌謡曲だけを聴いて比べてみたら優劣はすぐにつかないことでしょう。P-610のほうが歌謡曲に適した音色なのかもしれません。でもバッハのソナタ、どのような楽器であってもどうしようもない音の差がありました。どのように違うのか?
バッハの無伴奏ソナタを技術的には問題なくは弾けるが音楽としては?マークの出る演奏家はたくさんおられます。一方技術的にも音楽的にも素晴らしい演奏家も数少ないですがおられます。その数少ない演奏家の録音、例えばシェリングの演奏をP-610とシーメンスで聞き比べたとしましょう。P-610で鳴らすシェリングはたくさんおられるヴァイオリニストの音に近づいてしまうのです。これは事実です。
1980年代に日本人の右脳、左脳の働きが外国人の働きとは日本語の特異性が原因で逆と言ってもいいくらいに違うという説が発表されました。確か「日本人の脳」という本でした。当時高校生の私には衝撃的な内容でした。
日本人の音意識
http://www.seas.or.jp/news/library/tsunoda.html
なるほど日本人全体でみればそうかもしれません。でも音楽の経験や訓練の結果で西洋人のような感性に変化した人もいると思われます。一概にはこの学説が原因でオーディオでの日本の音が出来たとは言えないでしょう。
しかしP-610とシーメンスで差が出るようなジャンルの音楽を聴かない方がスピーカーの開発をしたらどのような結果になるのか?その答えは日本のオーディオの歴史の中にたくさんあるように思えます。
2013.4.9
ロボットに差音は聴こえるか?
答えはどうなんでしょう。ロボットと言ってもルンバから鉄人28号、アトムまであるのでどのレベルでの話しか?多分聴こえないと思います。
なぜなら差音の正体は先日に書いた現実のコーラスでの体験のような
おばけなんですから。
線形処理がベースとなる人工知能のロボットではたぶん差音は感じないでしょうね。
私達のようなアンビバレントな非線形処理を行う人口知能が完成すれば差音を感じて涙を流す
ロボットが誕生することでしょう。
いつも線形処理をしている賢いオーディオマニアの方はひょっとして差音に気づかないこともあるかな?
とふと考えてしまうのは非常に失礼なことですね。でも私もチェロを触る(演奏するというレベルになる前に挫折したから)までは差音は感じませんでした。感じてても気づかないというのが正しいのかも?
音楽家でもピアノのような平均律の楽器を演奏される方もその存在に気づいておられない可能性は
あります。差音を感じる能力は経験、訓練に関係するかも?
だからオーディオの世界ではもっと、もっとマイナーな話題かなと思ってしまいます。
そのうちオーディオ誌にも差音の話題が掲載されることを夢みながら差音についての話題は終わります。
2013.4.7
アーサー・H・ベナード著 音と楽器 河出書房新社 に差音についての解りやすい記述がある。
《楽譜の一番上の線はヤンキードードル(ヤンキーの馬鹿)のはじめの部分の楽譜である。
二番目の線はこれと一緒にド音を吹くことを示す。かりにこの二つの音符に従ってクラリネットなりフルートを二つ強く吹くと(吹奏楽器なら何でもよい)、楽譜の三列目でおよそ表せる第三の部分が聞こえてくる。》
ピアノでこの実験をやってみたが予想どおり一番下のメロディが現れるとは言えない。
理由は平均率であることと、倍音が管楽器のように単純ではないからである。
キーボードで純正の音が出せるものならフルートなどを選べば間違いなく一番下の赤丸で
囲んだメロディーが出現する。
この事実は作曲家によっては意図して楽譜では表してはいないメロディーをしのび込ませることは可能とする。
演奏家が出していない音が演奏中に出ているわけである。また低音の出ない楽器で演奏しても作曲しだいで
物理的に出せない低音が出て豊かな演奏となることもある。バッハは完全にこのようなことを意識的か物理的には
理解しなくてもやっていたのは間違いないと私は考えている。
この現象を生の演奏だけのものと考えてはいけない。
生の演奏でさえ、調律の程度、音の大きさ、倍音の違いなどで第三の音の出現が難しいことが起こるのだから
オーディオでは種々の問題により差音の再生は非常に難しい。
しかしこの現象を熟知した開発者と音楽を単に波形としてとらえている開発者では
製品の完成に大きな差がついてくる。
ただし残念なことに差音の出現が演奏の内容に関わることの少ない音楽もあるので、その音楽だけでの
判断で差音の再生の得意な製品を開発するのは困難なことである。
最後に私がここに述べたことについて異論を持たれる方もおられると思う。
波形が物理的に完全に録音再生できるならこれらの現象をもこなせるという考え方だ。
でも言いたい。スピーカーのコーン紙をボイスコイルで動かさずに単なる打楽器の振動板として
叩いてみたらどうだろう。差音の表現が忠実に出来る振動板とそうでない振動板があることを理解されるに違いない。
もちろんスピーカーだけではなく装置のあらゆる部分が関係している現状にも気づかれるだろう。
2013.4.3
先日の言葉、差音ですが検索するといろいろ出てくるが技術的すぎて難しいようです。
私の経験で比較的理解しやすい例がありますのでご紹介します。
20代の時友人でオーディオ好き、音楽好きな人がいました。
彼は男性コーラスのトリオのメンバーでした。不思議な体験があるとあたかもおばけを見たかに困惑しながら話してくれました。練習をしている時いつも同じところで誰かが間違う。オクターブ外した音を歌う。3人しかいないので誰かが間違ったのに決まっている。でも誰も名乗り出ない。喧嘩になりそうだがしかたなく次へ行く。これではだめだといつものところを待ち構えて歌ってみた。やはり誰かがオクターブ下を歌う。だれもやってないと言う。3人しかいないのに、だれも間違っていないのにだれかが間違う。実際は間違ってはいないのになぜかオクターブ下が全員に聴こえる気持ち悪さ。これは事実なんだと話してくれました。前後関係はよく覚えていないのですがそのときすでに私は差音の論理を知っていたように思います。そして彼に説明できた、それはおばけではない、差音と呼ばれる現象だと言いました。
その時彼らは5度のハーモニーをとっていたそうです。アカペラなのでもちろん純正の5度です。5度の音の関係は例えば二つ有るうちの一つの音の高さが440Hzならもう一つは1.5倍の660Hzです。この二つの音を同時に鳴らすとその周波数の差、220Hzが生み出されるのです。物理的にない音が幻のごとく現れるのです。660Hz,440Hz,220Hzの三音で中心の440Hzとその音はオクターブ。無いはずの1オクターブ低い音が出てくるわけです。
これは単純な例ですが、実際の音楽では倍音があるし音の数も多い、とても複雑です。
もちろんオーディオの世界でも起こっています。
ものすごく重要なことなのに演奏の世界では難解な話でまず話題にされることはありません。
当然ながらオーディオの世界ではそれ以上に話題にされることはありません。
例えばスピーカーやカートリッジは楽器と同じく発音体ですのでこの知識なしに作成された製品は元の演奏を再現できません。製造される機器はとてつもない数なのに高く評価され銘器として残るものは非常に少ない理由の一つです。
続く
2013.4.2
試聴室で使っているスピーカーシステムはいろいろある。ひとつはダブルコーンのクセのあるものをルーペ代わりに使っていたのだが、それをしばらくお休みにしていたテレフンケンの3WAYモニターに交換した。BSから録音、GPSクロックを使ってCDR化したギルシャハムのシャコンヌ(友人のM氏が作成)がなかなか上手く入っているのでかけてみて驚いた。こんなスピーカーだったのかと情けなくなるようなボケボケの音。ボール紙のヴァイオリンだったらこんなになるのではと瞬間に思うほどの酷さ。ところがである3分25秒とディスプレイ表示が出た頃には一級の音に変身した。これほど短時間に変わるとは。そういえばこのスピーカーを初めて鳴らした時も酷かった。まるで運動会のPAホーンのようなガサガサ、シャリシャリ音が出てひるんだのを思いだした。2-3日後にはさすがテレフンケンだという評価に変わってしまったが。今回は反対にボケてしまったのが3分で回復したのである。このような経験は余り無い。ローサーPM6やAXIOM80などはそんな傾向はあったがこれほどではない。確かオーディオ評論家のどなたかがジェンセンの複合型ユニットを最初に鳴らしたら怪鳥の叫びみたいな音でびっくりしたと書いておられた。それを思い浮かべるくらいこのテレフンケンの最初は酷かった。
友人の奥方のヴァイオリニストが自分の楽器はステージで弾き始めは表板だけが鳴って目覚めがわるいが、30分を過ぎると裏板が鳴り出すと言っておられた。このテレフンケンはまるでヴァイオリンみたいだ。それも3分で目覚める。
2013.4.1
ウイーンフィルの音を聴いてきました。
残念ながらフルオーケストラではなくてセレクトされたメンバー約30人で構成された中編成のオーケストラです。
当日のプログラムのメインはベートーベンの交響曲7番でしたがシンフォニーホールの空間を十分に鳴らし切る音圧が 出ていました。コントラバス2本、チェロ2本なのにフルオーケストラと間違うような豊かな低音に支えられた音圧です。
同じような編成他のオーケストラ、いやフルオーケストラでも及ばないマジックとも言えます。
でもよくよく考えてみるとこれはウイーンフィルの秘密のひとつでもあり解明するのは楽しいことです。
聴いた印象ですが、やはり素晴らしい、文句はつけられません。
期待していた音色はさすが、これしかない。
完璧に近いフレージング、これは全員が同じ感覚を持っているとしかいいようがない。
ベートーベンの7番は指揮者なしですから実力のある指揮者が振った演奏と比べると少し整い過ぎているとか個性がどうかとかですが、どうしても一言ならでの話し。本当に比較できるものはありませんというレベルです。整っているといっても息があってるとか、アンサンブルに全く乱れがないという意味ではありません。むしろプレーヤー個人個人の良さを抑えるのでなく、無理に全体に合わせるのでなく、フレージングが完全に同じだからこうなるという素晴らしい演奏の見本みたいなものでした。
ピアノは一般的には等分平均律で調律されます。
仮に5度を純正に近づけるベルグマイスターなどの古典調律にしてから等分平均律との音の差を比べると明らかに
低音の量感が異なってきます。理由は純正で発生する差音が低音のオクターブを拡張するからです。
この現象と同じことがウイーンフィルの演奏でも起こっていると考えられます。
全員が理解し、かんじんの部分では完全な純正をとる。曲の全てでなく重要な部分、ツボの押さえ
が完全なのでしょう。 変幻自在の音律、ピアノ調律のような不自由さはここにはありません。
ところが音圧をかせぐ演奏方法にもこの逆があります。ジャズではそれが使われます。
オーディオでも全く同じ原理が働いています。
この話はまた。
でもお忘れなく、今日はエイプリルフールですぞ。
2013.3.30
またまた脱線するがピアノで大事なことを思いだした。
親しくしていただいていたジャズピアニストのJ.ルイスさんの奥さんはクラシックのピアニストでピアノの女神様クラスであるランドフスカの弟子だった。地中海の真珠と呼ばれるドブロブニクの出身と聞いた。100ゴールドフィンガーズという10人の著名なジャズピアニストが集まって演奏するコンサートに行ったことがある。その中の一人がJ.ルイスさんだった。他のジャズメンとの音が全く違うのである。それは彼がクラシックの素養があり日頃指慣らしにバッハの平均律を弾いていることと無関係とは言えないだろうが、フィーリングが他の人と異なるでなくて、出す音が根本的に違う。タッチが違うとか片付く簡単な話ではない。あまりにも彼の出す音が異質なのである。と言ってクラシックのタッチとは違う。やはり全くのジャズピアニストの弾き方なのだ。音にわずかな濁りがつき、比重が軽い、完全な脱力をしないと出ない音。澄んだ音ではないからいわゆるクラシックの音とは違う。この経験が頭を離れずご夫妻と食事をしたおりに奥さんに質問した。彼は普通のピアニストではありません、指でピアノのキーを押さえるのでなくて重力を利用してキーの重さだけで音を出すのです。完全な脱力で音を出すのです、こんなことは普通の人は出来ません。もちろん私にも出来ません。と旦那のことを絶賛していた。
楽器の演奏というのはこんな高いレベルの演奏家の間でもこんなふうだから。
とても私には、と諦めてはいけない。
少しでもそのうち応用させていただこうではないか。
本論の初めてのピアノ発表会のことだが。
一曲にしぼったので簡単なことだといつもの自信過剰で望んだ。
楽譜をめくって譜面台においてから、ゆっくりと椅子の高さと位置を調整した。
殆ど暗譜しているのでどのへんを弾いているかを見るだけの楽譜である。
曲の三分の一を弾き終えたあたりでパニックがおとずれた。
どこを弾いているかわからないのである。中断しないようにしながら必死で探した。
見つけることができない。あきらめてすぐそばに座っておられる先生に告げた。
どこを弾いているかわからなくなりました。
先生の言葉に唖然とした。
それは一番でなくて三番の曲の譜面です。
でも弾き初めたときから見ながら弾いてましたよ。
違う楽譜を見ながらちゃんと弾けるとは凄い才能ですね、驚きました。
終わってしまった。来年は頑張るぞ。
2013.3.28
ピアノのペダルは3本だと思い込んでいたがそうではないらしい。
エラールやファツィオーリなどは4本あるとのこと。
すぐれたピアニストなら初めて4本に出会ってもすぐに慣れてしまう。
とにかく踏み方はホールの残響特性、曲など変化する要素に合わせて音のかえりを聴きながら自分で調節するものである。クラウディア・アラウの来日時演奏会パンフレットにはこんなことが書いてあった。
「ステージでピアノを弾き始めてから3分で、そのホールのピアノを最良に響かせる弾き方を探し出せる」もちろんタッチも含めてだろう。
コンタルスキーは来日したおりに日本の学生は指はよく動くがペダリングが全然だめだと言った。
まとめてみるとピアニストにもかえり(ホールの反射音)が聴けないでキーを叩き過ぎる人はかなりいる。こんな人はまずペダルは上手く使えない。
ペダルは先生に教えてもらうものではなくて自分で見つけ出すものだ。
となると経験なしでは使えない。使えるのはまだまだ先の話なのは間違いなかった。
もう時間はない。ピアノの先生に相談した。グノシェンヌ1番はなんとかペダルを使えるが3番は曲が難しいのでペダルまで入れるとキーに集中できないので弾けないと思います。今回は二曲はあきらめて1番のみにします。
オーケーしてもらえたので結局当日はグノシエンヌの1番だけにした。
続く
2013.3.27
生まれて初めてのピアノの発表会は無事には終わらなかった。
笑い話か面白くもない老人ボケの話になるか?ともかく恥をしのんで書こう。
発表会の前日になって選んだサティの2曲ともペダルを踏みなさいと先生は言われる。
それはムチャであります、60の手習いで始めたピアノですよ、まさかバイエルが終われるなんて
夢にも思ってなかったくらいだったし。まだペダルの練習なんか一度も出てきてないですよ。
ところがこの2曲とも左手の和音のバスラインが必要だと言われる。
自宅のアプライトでペダルを踏むと音がボケボケでメロディーが立たない。
なら半分くらい踏むとかでやってみようかとも考えてみた。
知識だけは欲しいと思い当たる本を探してみた。
オーディオの全盛期、コンクリートホーンで有名な高城先生の文章が見つかった。
五味康祐にボロカスに書かれてまるで悪い音の見本みたいになっていた。
昔どうしても巨大な低音ホーンを聴いてみたいなあと思ってお訪ねしたことがある。
来られる方は誰も音が良いとは言わず、外で悪口ばかり言われると嘆いておられた。
こんな大掛かりなものをちょっとやそっとで自宅に造れるわけはないので
悪口もやっかみ半分だとは思うのだが。ずいぶん昔のことなので思い出してその音を
述べても信憑性はないのでやめるが、素晴らしい音だと感激したような記憶はない。
当時はコンクリートホーンの音が良くない理由はマルチチャンネルのドライバー振動板
位置がずれるので位相が狂い低音だけが極端にホーンの長さ、数メートル?遅れてのそっと出てくるからだ
と言われていた。でも私は今はそれが原因だと思えない。なぜなら振動板の位置をピタリと
揃えた階段型スピーカーシステムがその後数社から発売されたがそのメリットのおかげで
良い音の出たシステムは一つもなかった。
位相をそろえた階段システムは再登場してこないので単なる流行だったのだろう。
ではなぜ先生の大掛かりなホーンシステムが評価を得なかったのか?
答えはアンプである。巨大なマグネットを備えたホーンユニットはそれ自体の音質がどうであれ
送られてくる信号を敏感に音波に変換する。いわば音の顕微鏡みたなものだ。
そういうわけで送られてくる電気信号の問題を極端に出してしまう。
問題はマルチシステムを構成するアンプだ。
今ではだれも欲しがらないような音質のTR式アンプを高城先生は使われていたのだ。
例えばTR式アンプでも現在定評のある優れた音質のもの、例えばFMアコースティックなどを
もし使われていたなら逆の評価が出ていたに違いない。
残念なことだ。
話が脱線してしまったが、高城先生は都立高校の数学の先生なので音楽とは関係なさそうと考えてしまう
のだが、なんとスタインウエイのピアノをお持ちだった。
とにかくピアノが大好きでお伺いしたときもオケや歌曲の話なんか全くなさらない。オーディオルームの中は
打楽器の鐘やドラム、壷のたぐいでいっぱいだった。
その高城先生がペダリングについて大事なことを書かれておられた。
続く
2013.3.22
長崎さんのライブに行ってきた。
ここ二年くらい、一年に一度くらいは関西に来られる。
いつもクールに音色を制御しているあの度胸。
チンドン屋のようなチャラチャラした倍音が勝手に
出てしまうはずのこの楽器。
でも全く出さないな、そんな音は。
それは悲しみとして底に潜んでいるだけだ。
決して嫌な音を出さなかったグレングールド、
あのタッチを思い浮かべるような整った音が常にあった。
少し抑制の効きすぎた落ち着き方でもあった。
でも驚いたことに今回は柔らかなバランスはそのままで、音の芯があるではないか。
才能ある人は努力でいくらでも進化するのだな。
どんなジャンルをやろうとフレージングはいつものように完璧だった。
録音したいな。 スポンサー募集。
2013.3.12
私には常に動作させているGPSの受信機は4台ある。
オーディオ用のクロック用が2台。
自動車のカーナビが2台というわけ。
自宅のオーディオ用GPSアンテナは最初は室内窓際に設置していたが
設置後1年くらいは時々受信が途切れた。
思い切って窓から屋外にと約2m離れた庭の木の枝にしばりつけた。
その後受信が止まることは無かったのだが
去年の暮れに30分ほど途切れた。理由がわからず故障かとも思い、また
木の枝から落ちたのかとも思いチェックしたが変わりはなかった。
チェック後にすぐ受信が始まった。それから現在まで途切れることはない。
もう一つのオーディオ用は事務所の窓際、屋内設置。
ビルの2階で窓の前は約3mの道路幅を隔てて3階立ての民家。
建築物の谷間だから空は窓の外の真上しか見えない。
だから頻繁に受信不能となる。おかしなことに去年の暮れからは受信不能が少ない。
もう一台はカーナビのGPS。これは受信不能になったことはない、
というより殆どのカーナビは受信できてないのに
内蔵のマイコンがいつも受信できている振りをして現在位置を表示する。
これでは受信状況はまったくわからない。
残る一台はこれもカーナビとして使っているがバッテリー内蔵携帯ナビである。
受信したり受信しなかったりする。室内で使う場合はやはり窓際しか受信できない。
オーディオ用のGPSと同じくらいの感度である。私が毎日通勤に使う車に設置して
シガーライターのソケットから電源を取っている。これはマップだけでなく受信出来ている衛星の位置とその電界強度を画面で表示可能だ。通勤コースはワンパターンであるのでエンジンがかかってからいつもの信号、建物の前でナビはGPSが受信できましたとアナウンスしてくれる。その日の状況により3つくらいパターンがあるがだいたい同じ場所で受信する。場所に関係するように見えるが実は経過時間だと思う。電源が入ってからだいたい5分から10分で受信する。オーディオ用のホットスタートと同じくらいだ。
ところが昨年の12月くらいからエンジンをかけたとたんに受信出来ましたとナビは言う。
事務所のGPSアンテナも受信不能は殆ど無い。ここ3ヶ月くらい続いている。
しかし本日は12月以前にもどった感じがある。エンジンをかけて受信まで5分くらいかかった。
事務所の窓際のは一度受信不能となった。明日からどうなるか様子を見よう。
思いあたるふしがある。すぐに携帯ナビが受信するときは衛星が天空の真上に3個あるし、キャッチ出来ている
ほとんどの強度が高い。今日は真上には3個はなかった。ここ最近と違う。どうも平常時に戻ったみたい。
GPS 衛星を一つ打ち上げるのにかかる費用は予算の2倍以上の16億ドルもかかっていると指摘されている。
こんなとてつもない費用がかかるので何かない限り普段は電波強度も位置もコストがかからないようにして、
危うい状況の時だけフルに動かしているのではないかと疑ってしまうほうがおかしいのだろうか?
メンテナンスをしに行くことも出来ないだろうし、超原子時計の冷却ガスもボンベだろうからと想像するだけだけど。
でもこんな高価なものをただで使わせてもらっていて良いのかと思うけど、
軍事でなく平和にきわめて関係ある音楽だから問題なし!
P.S. 今朝もエンジンかけてから受信まで5分くらいかかりました。
天空の真上には3個の衛星はなく以前のように散らばっていました。
普段良好に受信できている場合は全く気づくことはないでしょうし、
また何の問題もありません。(2013.3.14)
2013.3.11
昨年もラフォルジュルネに行けなかった。
実現可能な夢のひとつなのに。今年は行きたいな。
昔と違って東京は江戸ではないのだからすぐにでも行ける。
音楽聴くのに何日も歩いたりした頃の音楽とパソコンワンクリックの音楽とは
根本的に値打ちが違うのだろうか? それとも数が増えただけで値打ちのあるものは何も変わらないのか?
後者だと思いたいのだけれど。
フランスの音楽は今も昔もおしゃれだ。
ないものねだりの憧れは今でもある。
来週の日曜はピアノの発表会がある。観客はいくらピアノ教室の仲間だといっても
他人に聴かれるのは間違いない。舞い上がらないことを祈るだけ。
録音して聴いてみないと冷静な判断はできないが大分良い音が出るようになってきた。
欲張ってサティのGnossienne 1番と3番の二曲にした。
以前からサティはクラシックの作曲家でクラシックのカテゴリーに入ってはいるのが
納得がいかなかった。クラシックを聴かない人でもサティは知っているし、とくに
サティ好きな人は絵画を描く学生さんとか、どちらかというと造形での芸術家が目立つ。
音楽好きの人ではサティ好きは少ない。ピアソラもサティのようにジャンルをはみ出してはいるが
こちらはクラシックではない。
選んだ曲なのでYoutubeで探した。案の定通常のクラシックのピアノ弾きはレパートリーには入れない。
気にいった演奏はただひとつ見つかったがやっぱり変わった人だった。
名前は Reinbert De Leeuw という方。素晴らしい。フランスではその方面のナンバー1という感じみたい
だがよくわからない。このへんでと終わりかけたが待てよと思い、Gnossienne & Jazz で探したら
びっくり、たくさん出てきた。トリオもオケもある。アレンジされていて楽しい。
そしてコメント欄のところで見つけた書き込みに驚いた。
Satie is a Father of Jazz!
やれやれこれで溜飲が下がった。
では日曜はがんばろう。
ラフォルジュルネで思いだした。
身近な音楽家の知り合いの中では天才クラスの人はクラリネット吹き、長崎亜希子さんしかいない。
親しい方では長崎さん以外での天才クラスはJ.ルイスさんだがもうおられない。
長崎さんはラフォルジュルネには毎回参加しておられたように思うが?
検索してみたら彼女のサイトが見つかった。来週は幸運なことに大阪で演奏される。
万難を排して出かけるぞ。
2013.3.8
ティボーとヌヴーの弾くストラディヴァリウスは改めて聴いてみたが果たして
ガルネリデルジェス的な音がしたか?それともそれは私の思い込みか?
音楽的な解析でなくオーディオ的な音の面からそれは並のヴァイオリニストとはなにが
違うのか?
友人の指揮者に質問をしたことがある。
とんでもないレベルの演奏家と並の演奏家では楽器の種類を問わずまた音楽的表現が云々という曖昧な部分は別として物理的に何が違うのかという長年の疑問である。
彼はすぐに答えてくれた。
1小節の中で、音と音の間にある表現に関係する要素の数が違う。
その数がどれくらいあるかで決まってくる。
音楽家ではない私が理解するには難しい言葉だった。
最近なんとなくそれが解ってきているように思えていた。
そしてヌヴーとティボーはまさに数が多いことが今回解った。
ヴァイオリンの弓にはる糸は白馬の尻尾の毛である。
それもモンゴル産のが良くて軽く漂白してもっと白くなるらしい。
コントラバスなどにはその音の性質に他の馬のが適してるとかいろいろあるらしい。
なぜこれを使うようになったのか?
固有の毛の音質もあろうが、理由は毛の表面のキューティクルが細かくて均一だかららしい。
それに松脂をつけてよく弦にひっかかるようにして弾く。
磨り減ってくると良い音が出なくなるので定期的に交換する。
謎に近づいてきました。
ヴァイオリンの音は細かいキューティクルが弦を引っかいて出す音なのです。
持続している音は音程が一定であろうと細かい音、引っかく音。
すなわちとても細かいパルスの集合なのです。
二人はその細かいパルスを使って音楽を表現する技術とセンスが並ではないというわけです。では安物の馬の毛の弓をお二人に使ってもらったらどうなんでしょうか?
決してへたにはなりません、弘法なんとかですぐにそれなりに自分に取り入れてこなすだろうと思います。でも良い弓とその弓での演奏を比較すればもちろん優劣がでます。
ストラディヴァリウスでガルネリの音が出ているのでしょうか?
二人の手にかかるとストラディヴァリがガルネリデルジェスに変身したとは言えませんでした。でもガルネリデルジェスを弾くヴァイオリニストの表現に近いものも聴こえるのは確かでした。並のヴァイオリニストでは出せない音、脱力しきった弱音の中にも力強い音が潜んでいる。まさにこれを求めるヴァイオリニストはガルネリデルジェスの力を借りようとするのです。ストラディヴァリウスからは自分の求める力強い表現ができないのです。
ところがこの二人はガルネリデルジェスは必要なかったのでしょう。
ヌヴーはなんとも言えないがティボーは決してガルネリデルジェスを使わないでしょう。
それを使うとその個性がいつも自分の演奏にある、でもストラディヴァリなら求めた時だけ自力でデルジェスの表現が出来る。これに違いありません。
ここまで言い切る私の確信の根拠はどこにあるのか?
自宅のオーディオ装置でGPSクロックの接続を外して二人を聴いてみたら。
弓の毛が磨り減ってきたような音がする?
音色がのっぺりしてきて抑揚が少なくなる。
脱力した音の力強さが薄れた。
神様の技から人間技に近づいた。
なるほどSPレコードを高級な蓄音機でかける限りこんなことは起こりません。
たとえ雑音に埋もれようと、周波数特性が悪くて高音が出なくても、
キューティクルの数は減らない。
やっぱり鮮度ですね。
お酒や食べ物と同じ。
そうか食物の鮮度も味とか匂いのパルスが
なまるのか。
2013.3.7
先日飲んだ逸品の日本酒、三好菊。
開栓したときの芳香、味わい。
これは日本酒ではなくてワインの仲間というほうがあっている。
ヴィンテージワインの開栓はまさに冒険である。
長年の保存でただの色のついた水かとても飲めないような酢に変質していることがあるからだ。しかし運良く保存状態が問題なくて幸運なこともある。その時はソムリエがそっとコルク栓を抜いたとたんにフワーっと香りがテーブル全体に立ち込める。グラスはそっと持ってまず匂いを確かめる。このときはワイン通を気取ってグラスをくるくる回してはならない。並のワインなら空気とワインを素早く混ぜることで香りが引き立つのだがこの時だけは違う。長い間眠っていたワインなら空気にふれたとたんにショックで一瞬にしてただのまずい水に変わっしまうことが往々にしてあるからだ。
テーブルに漂う微香から鼻先に強烈に匂う個性、そしてそれは極めて短い間、グラスを2杯、3杯と重ねるうちに驚きとともに香りの個性が変化していく。めまぐるしい七変化である。もちろんアルコールでなく味に酔ってしまう。
このようなレベルのものに出会うことはなかなか無い。
誤解されるといけないのであえて書くが私にはワインの趣味はない。
ないというよりそんな趣味を持つことは出来ない。
これは経済的な理由だ。上記の経験はワイン通の方に何度かさそって戴いた時のことだ。
自分で高級レストランに行って飲んだわけではない。
このような思いをしてしまったので、普段はワインを買って飲まない。
自分の小遣いで買って美味しいと思えるのはめったにない。
もちろん小遣いをためてお札一枚少々だしたところであの経験は有り得ない。
それと簡単に買えるワインの味はどうも馴染めない。まさに異文化の飲み物だ。
だいだいがまずい。日本酒ならこんなことは起こらない。一升瓶で2000円以上出せば
いいものはたくさんある。飲めないようなものはない。ところがワインは出した値打ちの
無いものがほとんどである。
というわけで普段飲むのはビール以外で焼酎(安くていいものはとても少ないが探せばある。人気が出ては困るのでここには書けない。興味ある人は直接私に聞いてくださればお教えできる。気軽にお電話を!)、シングルモルトウイスキーに落ち着いている。シングルモルトに落ち着いている理由は?手ごろな価格のスコッチ、ブレンドウイスキーは昔に比べとてもレベルが低下しているから。それらと同じ価格で良質なシングルモルトはたくさんある。
貧乏人の酒選びの世界になってしまった。すみません。
日本酒、三好菊に戻ります。
実はこの銘柄、三好菊は今まで何度か飲んだことがある。
変わった味の日本酒だという感覚は変わらない。
でもリピートしょうとか、絶賛しようというまでは行かなかった。
私には甘すぎるし、香りの中になにか、酒かすに近いのか、糠のような
醗酵食品の感じがうっすらとある。日本酒にある現象だが
火落ちというのがある。
日本酒も大分飲んでいた時期がある。何度かこの火落ちした酒にであったこともある。
一度は酒蔵の親父が遠いところからわびに来た。蔵にクレームつけたわけではない。
オーディオビジネスをやっていてクレーマーやストーカーでとても嫌な思いをしてるので
そんなことはやらない。店の親父に話したら勝手に向うからやってきただけだ。
このくらいに蔵では重大事なのである。ビールも似た経験が2、3度ある。瓶の中にもやもやがあって変な味がした。これは火落ちというのかどうかは知らない。文句は言わずにほかしてしまった。大手はクレーム専門の人がいてそんな人と応対するのは時間の無駄だから。
この火落ちと少し似た感じ、もちろん誤解されては困る。
ほんのわずか私が感じるだけの共通的ななにかである。
どうもこれは使用している酵母,麹?が一般的な日本酒のそれではないからのようだ。
ところがである。今回のこの一本は今までの私の印象を大きく変えた。
素晴らしい。似た雰囲気はアルザスのワイン、ゲベルツラミネールの極上のものに通じる。
水もとても良い。
とても良いものはすぐに壊れることが良くあるが、まさにこれもそうだ。
鮮度の良い時は素晴らしく、時間の経過で初期のバランスが崩れるからだ。
魚でも野菜でもそうだ。発酵食品なんかよいものは100%それだ。
良いものほど扱いは難しい。
そこそこのものは品質を維持できる。
音楽もまったく同じことだ。
良いものほどオーディオ装置により劣化する。
そこそこのものはそれほど劣化しない。
後日、日本酒の大家、M博士からコメントがあった。
蔵の中で絞りたてを飲んだのを10とすれば
蔵の庭で瓶詰めを飲んだのが9-8,
買って帰って家で翌日飲んだら7,
今日飲んだら5以下でしたとのこと。
やっぱりなー。
2013.3.5
ストラディヴァリウス、デルジェス、ヌヴー、ティボー。
フルトヴェングラーと分不相応なスタートきめたものの息切れで続いておりません。
毎日ブログを更新することがいかに大変なことかやっと解ってきました。
でも頑張りますよ、楽しいし、私しか言えないことがあるし。
ネットの無い時代の物書きと比べたらどんなに楽なことか。
そうです、日本酒の三好菊。
今晩も飲んで空にしました。
やっぱりあの感激はなくなった。
凄いものほど鮮度が重要、それを記録したり、保存したりしても
それを後日捉える人の記憶で目減りした要素を
補っているだけなのでは?
2013.3.4
日本酒にも強烈に個性的、かつ素晴らしいものがありました。
先月オーディオの友達が集まって四国酒祭りに行って来られました。
当日の夜風邪で熱を出して私だけがおいてけぼり。
悔しさでいっぱいになってましたが、土曜にアーチェリー仲間兼オーディオ友達のSさんが
日本酒の権威、M博士のお土産の日本酒を届けてくださいました。
それは驚くべきものだったのです。
ヒントは鮮度、マスターテープとかプレス何回目のオリジナルディスクとか
とダブってしまいます。この話は後日。
2013.2.28
この二人の演奏の素晴らしさは文では表現できないと思う。でも私しか書けないこともあるという自負もあるのでなんとか
書いてみたい。もちろんどのように音楽的表現に優れるかを述べることを今さら私がやっても仕方ない。音楽評論家の皆さんが過去に語り尽くされたことであろう。だから演奏内容でなくて音に関する部分について努力してみよう。
まず二人の楽器ストラディヴァリウスであるが、クラシック音楽を聴く人ならその名を知らぬ人はいない。
人間の顔は左右対称ではない、眼など左右対称でない人ほど心が複雑で、逆に左右の眼が対称的な人は裏表が少ないように思える。これは左右の脳の働きに関係しているのでは?人間の顔と似てストラディヴァリウスは表板が左右対称的である。一方ガルネリデルジェスは一族のガルネリの中でももっとも左右非対称的だ。音もこの姿に似てストラディヴァリウスが信仰的、純粋、一途で一面的、透明な音色であるのに対しガルネリデルジェスは現世的、両義的、人間的、男性的、複雑で力強い,あえて言えば毒を含む濁った音である。それゆえにストラディヴァリウスの信仰的な音と反対の人間的な音である。
。またストラディヴァリウスがオーケストラや弦楽合奏の中でとてもアンサンブルしやすいベルカントな音色であるのに対しガルネリデルジャスは地声的で遠鳴りがしやすく、明瞭な音色でアンサンブルよりもさらにソロをこなす。ガルネリデルジェスが一本だけ弦楽合奏の中に入るとアンサンブルが難しいという話もある。コンチェルトのようなソロとは話が別だ。一般的な表現力という意味でならガルネリデルジェスはストラディヴァリウスを上回る。代表的なソプラノのオペラ歌手がストラディヴァリウスならガルネリデウジェスはマリアカラスといえるのではないか?
この私のガルネリデルジェスの音色の捉え方があっているかどうか、現在クレモナの主導的ヴァイオリン製作家のヴィソロッティ氏の最近の著書で調べてみた。
『しばしば仕上げが雑で左右の対称性に欠ける頭部、慣れた腕で趣味良く切られたF孔、あまりに優雅とは言えないが心惹かれる全体の輪郭線、そして何よりも力強くすぐれたその響き。これが”デルジェス”と呼ばれたバルトロメーオ・ジュゼッペ・ガルネリのすべてであった。』(マルコ・ヴィニーチョ・ビッソロッティ著クレモーナにおける弦楽器製作の真髄、ノヴァチェント出版より)
素人である私なりの捉え方もそれほど外れてはいなかったと安心して改めてこの二つのCDを聴いてみた。
はたしてストラディヴァリウスからガルネリデルジェスの響きが感じられるかどうか?
2013..2.27
お昼休みに友人のヴァイオリン製作者のM氏に電話した。いきおいにまかせてブログを始めたのだけれど弦楽器の世界に深入りした書き込みをしてしまった。どうしようと泣きついた。相手はなんのことかさっぱり理解できない。とりあえずネットの検索で英語でinfranoiseと入れてくださったらこちらのサイトが見られますと伝えた。
先日見せていただいたガルネリデルジェスに関する最新情報が得られると思える資料、ビソロッティの本の出版社を
教えて欲しいと切り出した。ちょっと待ってと電話口で答えてくださった、すぐにそれは解った。明日なんとかこの件に関してブログを更新しよう。
2013.2.25
時々偉大な人物達の中でどこか相似したものがある二人に気づくことがある。
以前からとてつもない才能に恵まれたこの二人の人物の共通点が気になっていた。
ヌヴーとティボーだ。
その共通点は
1)飛行機事故で愛器と共に亡くなった。
2)ストラディヴァリウスの弾き手である。
3)フランス人
4)ヌヴー、ティボーとゴロが似ている。
5)比較するものなど無い魔的な音を出す。
こじつけ:二人ともストラディヴァリウスを好んで弾くヴァイオリニストの音ではなく
どちらかというとガルネリデルジェス弾きのような魔的な音である。しかしそれは楽器がもともと持っている音でなく、
そのような音が自然には出るはずのない楽器からガルネリデルジェス的な音を引き出しているのである。
信仰的な音を出す楽器からそんな音を出せるので悪魔ににらまれたのではないだろうか?
誤解なきよう付け加えるがお二人はストラディヴァリウスでガルネリデルジェスの音色を出せる技巧の持ち主という
というわけではない。ガルネリデルジェスでしか表現できない雰囲気をストラディヴァリウスで出せるという意味である。
古い書物で読んだ記憶なのだが確かティボーはストラディヴァリウスでしか自分の思った音は出ないと言っていたように
思う。
ジネット・ヌヴー
1949年10月20日のパリでのリサイタルが、ヌヴーの最後の演奏会となった。
1週間後の10月27日、兄ジャンと共にエールフランスのロッキードL-749コンステレーションに搭乗し
三度目のアメリカ演奏旅行に向けて旅立った。このエールフランス機には、
エディット・ピアフの愛人としても知られるフランス人プロボクサー、マルセル・セルダンも同乗していた。
しかし、同機はアゾレス諸島の主島であるサンミゲル島の山中に墜落し、乗員と48人の乗客は全員死亡した。
ヌヴーの遺体は、発見された時に愛器ストラディヴァリウスを両腕に抱え込むようにしていたと伝えられる。(wikipediaより)
(注:ここで私が書くことと関係ないようだが、エディット・ピアフの恋人が同じ飛行機に乗っていたというのは
謎めいている。ピアフはこの悲しみゆえに愛の賛歌を歌ったといわれている。なんとも悲しい曲だ。)
ジャック・ティボー
1953年、3度目の来日途中、乗っていたエールフランスのロッキード コンステレーション(機体記号F-BAZZ)が
ニースへのファイナルアプローチの最中に、バルスロネット近郊のアルプス山脈に衝突[1]。事故調査の結果、
CFITとされたこの事故により41名の乗員乗客と共に死去した(残る42人は重軽傷を負った)。
奇しくも、1949年に死去したジネット・ヌヴーと同じエールフランスの同じ機種による事故で
命を落とすこととなってしまった(ティボー自身は、ヌヴーの訃報の際に「自分もかくありたい」と発言していた)。
彼が愛用していた1720年製ストラディヴァリウスはこの事故で失われてしまった。(wikipediaより)
この思いつきから改めてこの偉大な二人の演奏を今の我が家のベストコンディションオーディオで聴いてみようと思う。
2013.2.24
1歳と2ヶ月になる孫が来ている。
ピアノのキーを指で押して音が出るのを得意にやってるか
i-padで音の出る本を喜んでいるくらいの音楽?との関係。
言葉はやっとワンワン、バアーくらいかな。
以下は孫自慢ではないので誤解無きよう。
まだオーディオ装置で音楽を聴かしてやろうなんて気持ちはない。フリッチャイのウイーンフィル、モーツアルト交響曲K.550を鳴らしたとたんにちょこちょこ歩いてきた。
ひざの上で真剣に聴いている。
一楽章をじっと聴いて眠そうになっていた。
驚いたが、幼児はモーツアルトだけは喜んで聴くものだという
話を思い出して自慢心は消えた。
翌朝の食事でラジカセでモーツアルトのピアノソナタK.330を
かけてみた。気がむいた時でなかったのかもしれないが全く
関心を示さない。パナソニックの昔の高級ラジカセで当時のB&Oを
意識したものだと思う。改造したので音質は元とは大分違ってB&Oそっくりな
優等生、嫌な音は決して出ない上質バックグラウンドの音である。
音の差を感じて反応したのかどうか本人に聞いても解らないので
確かめようがない。
何度か実験?する楽しみが出来たのは確かであるが。
P.S. ジジイ馬鹿と言われるのを覚悟で追記。
調子にのって実験をやろうと食後に孫に声をかけた。
CD棚の前に連れていくとストリートオルガンのCDを自分で探し出してかけろと言う。
ひざには乗らない。椅子のうえよじ登って立ち上がる。
鳴らすとそれに合わせて体をゆする。4,5曲を聴いたわけだが曲のテンポに合わせて
ゆするリズムを明らかに変えている。ともかくとても喜んだ。信じられないが音楽とは本来
このようなものなのだろう。
2013.2.23
オーディオでは本当になにを変えても再生音がころころ変わる。 部品の方向性などは変わる度にどちらが正しいかを判断していかなければならない。これは楽しみでもあり、苦しみでもあるはずだと思う。例えばAC電源のプラグの方向とかオーディオケーブルの方向とかは複雑に絡み合っていて、やっていてどちらが合っている方向か判らなくなってしまう。
オーディオメーカーではお客さんに方向性をたずねられるのに困ってAC電源のホット側を示すネオンランプのインジケーターを付けたり、テスターや検電器で方向性を見つけるようアドヴァイスしたりしている。でもこの方法が正解だと自信を持って言っているとはとても思えない。アンプの 電源回路などは他の機器との接続があるためアースループが交差して理屈ではかたずかず、理論的に正しいと思われることが音の正しさと一致するとは限らないからだ。逆に言うと電気回路でノイズの絶対量の少なさを目安に回路を組み立てても音のいいオーディオ機器が出来るのではないからだ。
ではどのようにAC電源の方向性を判断すればいいのか?インジケーターやACプラグのマーキングは絶対でないというのならどうしたらいいのか?どちらが正しいかを聴いてすぐ判断できる方ならなにも心配は要らない。自分のための装置だし、自分で判断したのだから何も問題はない。問題があるのは自信の無い方の場合である。
いつも聴いているソースを再生してみながら何度かACプラグを差し替えて良い方向に決めればよいのだが、これは自信がないと判断できずやる前より不安になってくる。
以下の記述であるが、音楽を聴いて方向性の判断に自信のある方はスルーしてください。
私の方法は絶対ではないので参考にはなりません。
その前にこんな話をひとつ。音楽についてたくさんのことを教えてくださった児童コーラスのI先生、音楽もオーディオのどちらもこれが人生の全てだと楽しんでおられたが、オーディオ機器そのものには興味はお持ちではなかった。私がこんなカートリッジはどう思われますかとか、いろいろお持ちして音楽を一緒に聴いたものだ。手持ちのうちで先生の気に入られたのを差し上げたが、それは初期のオルトフォンSPUだった。ステップアップトランスはすでにパートリッジをお持ちでオルトフォンのSL-15をお使いだった。SL-15以降でオルトフォンの軽針圧MCカートリッジをいろいろ聴いていだだいたがお気にめすものはなかった。理由は簡単、生の音と雰囲気が違うとのことだった。細かい部分もよく聞こえるし魅力的なのだが高い音がキラキラしすぎる、まるでステージ上でジョウロで水をまいたような音がすると表現された。 結局オルトフォンSPUに変わるものはなかった。
これは私の先日のノイマンマイクロフォンをCDで確認したことと似ているのではないか?
これがきっかけで私が以下の方法を考えたのかどうか?さだかではないが。
良い悪い、好き嫌い、上手下手、など感覚的な判断をしないでAC電源のプラグの方向性を決定する簡易方法である。
楽器の独奏で強弱があり高い音が出ているCDなりを用意する。ピアノやヴァイオリンのモノーラルの音源がよい、無ければ左右どちらか片チャンネルをアンプのミックススイッチで選択し左右のスピーカーから音を出す。理想的には左右のスピーカーの中央に音像がピタリと定位して動かないはずである。しかし現実はそうではないはずだ。音程や音の強弱につれひとつの場所ではなくて音のある場所が左右上下に動く。音の高さやレベルによって音像が滲む現象があるはずだ。高い大きな音が出たとたんに音の場所が動くのがわかるはずである。
それが自分の装置で確認されたら、次は同じところをACプラグの方向を変えて聴いてみるわけだ。音の滲みやふらつきが少ない方向と多い方向があるのが判ると思う。もちろんふらつかない極性が正解である。ただし装置にクセがあったり疑似ステレオ的な鳴り方が好きな方ではトレードオフが起きるがそれはそれで仕方がない。どちらでも同じと判断するならそれはどちらでも良い、次の機器のACプラグの決定に移る。オーディオ機器だけでなく電気スタンドや冷蔵庫、クーラーなどの電化製品までプラグの向きで音が変わるのが確認できると思う。方向性が確認できないこともあると思う。その場合は装置が偶然にAC電源の方向性があっていたか、AC電源の方向性に左右されない機器か、あるいはそのような細かいことで音質が変化しない機器のどれかであると考えたらいいだけだ。 そのような細かい変化に敏感な人もいるし、気にならない人もいるのだがオーディオ機器は細かいことの調整の積み重ねが最終的に値打ちを決めるというのは間違いない事実である。
2013.2.21
TACETのCDの面白さに目覚めたここ数日。
こんなものまで出てきた。いわゆるオーディオテストCD。オーディオ装置のチェックのためにいろんな音源が入っている。その中でいままでにない興味深いのがあった。マイクロフォンケーブルの長さを変えて録音したソースだ。片方は20m他方はなんと160m。この音質差を比較してみろというのである。驚いたことにその差は比べたら解るというくらいでしかない。なにが変わるかというと長いほうが位相とか時間関係が変わっていて、言ってみればその音の変化は20mに位相的なエコー?がついてきたのが160mというべきか。多分160mの時間遅れが電気信号に起こったのと160mのケーブルが床の上で揺さぶられて鳴きが入ったと見るべきか。とにかくこの位の音の差なのかという感じ。
それに比べ再生でのオーディオケーブルはなんと大きな変化のあることか。
でもオーディオケーブルの場合は数10m 使われることはまず無い。
なのでこのマイクケーブル比較を基準としてケーブルは短ければ短いほど良いというのは間違いだと言う気はさらさらない。
大事なことはマイクロフォンケーブルでの長さの音質差がこの程度なのに
オーディオではなぜ長さや材質で大きく変化するのかという現象だ。
どんなケーブルでも長さが1cm変われば音が変わる。
その変わり方も先日このブログに書いたマイクロフォンの音の差と同じく、いやもっと大きく楽器の倍音が変わるのである。実績のあるマイロフォンでさえあんなに変わるのだから、オーディオケーブルやその他オーディオ機器での楽器音の変形は演奏の再現には大変な障害であろう。
マイクロフォンの場合は演奏を忠実に捉えることが目的でもあるのだが、同時にマイクロフォンを含めたクリエイト行為でもある。だからマイクロフォンが元の音を良いように変形するものであっても結果として良い録音が出来れば良しとする場合もある。作品を創造する道具でもあるのだ。
しかし、再生において元の演奏を変形するのはどうか?
元の演奏に割り込んで自分が良い音だと思う再生音にするのもオーディオの楽しみのひとつか?
オーディオは趣味だからそれはそれで楽しいことだ。
再生音を自分でクリエイトする芸術行為だと言われても反論は出来ない。
それをこちらがどうこう言うことは余計なお世話だと思う。
でも個人的な話で私の場合は記録された素晴らしい演奏を聴くためにオーディオをやっているだから
再生音が元の演奏より良くなっても困るし、悪くなるのはよけいには困る。
ただしオーディオ装置の理想は無色透明とか、何も足さない引かないとは 意味が違うように思える。
元の演奏を変えないということはこれらの言葉では表せない部分であるのは間違いない。
2013.2.20
マイクロフォンの鳴き比べがあるもう一枚のTACETがあった。
ヴィンテージのノイマンやショップス、RCAその他興味深いのばかりが集められている。
もちろんお目当てのテレフンケンU47はどちらのCDにも入っていた。結論から言うとこのオリジナルU47マイクロフォンは総合点では最高だった。もっと古いノイマンの最初のコンデンサーマイク(ボットルとかのニックネームが付けられていた)があったが、これもメリハリのある美しい音でとても良いが多分楽器や演奏を多少選ぶかもしれない。しかしU47の音は歌やアコースティック楽器の演奏を捉える限り無敵だと思う。古い設計の振動板だから直径が大きく他の後年のマイクロフォンと比較すれば高音域の性能は良くないだろう。しかしそんな弱点は問題にならない音楽の捉え方の素晴らしさを感じる。B&Kやショップスなどの振動板の直径が小さいものはピアノ録音などでは確かに優位性があるが音が重なったときのヴォリュームは不足する。U47は楽器の倍音の変形がとても少ない。他の有名な銘器では倍音の変形がある、この変形は個性とか音色で言い表せるものだが変形には違いない。またそれが場合によっては演奏の助っ人になるときもあるだろう。U47はその変形が少ないためピアノの左手の音域やハーモニーがしっかりと録音できる。これは音楽ではとても大切な部分だ。
現存する数もしれているだろうし、また想像ではあるがグランドピアノが一台買えるくらいの値段だろうな?
八代亜紀さんのCDのおかげでこんな素晴らしいものがあることが解った。
ありがとうございました。
2013.2.18
CDはすぐに見つかりました。西ドイツのレーベルTACETでオーディオ的なCDやピアノ、ギターなどの銘器の鳴き比べCDなどもあります。確か大阪の河口無線さんに展示してありました。
テレフンケンU47マイクロフォンは1947年に開発された真空管式のコンデンサーマイクロフォンで指向性切り替えの出来る最初のモデルとのことです。テレフンケンのマークがついているが販売だけで開発元はノイマンであると書いてあります。出来たら今日仕事から帰って自宅で聴いてみようと思っています。その後レプリカモデル?改良?改悪?はたくさん出てきているようですが。果たしてオリジナルとどれほどの差があるのか?オリジナルモデルはとんでもないプレミア価格になってるのは間違いないでしょう。
U87とか69というのは何度か使ったことがありますが、こんなとんでもないものは見たこともありません。
2013.2.18
先日の八代亜紀さんのCDジャケットに映っているテレフンケンのマイクロフォンでの 録音があるオーディオ的なCDを持っているのを思い出した。多分すぐに見つかると思う。いろんな有名なマイクロフォン銘器を使って録音した興味深いCDだった。
それと八代亜紀さんのCDジャケットによく似たレイアウトのLPのジャケットも 見つかった。有名なジャズボーカルのLPである。ここに同じと思われるマイクロフォンがある。このマイクはヴィンテージとしては世界的に超有名なもののようだ。ノイマンとテレフンとの関係はよく判らないがこのマイクロフォンがノイマンか テレフンケンかは問題ではないだろう。
2013.2.15
昨日書いた八代亜紀さんのCDジャケットに映っているマイクロフォン。
やっぱりテレフンケンみたいですね。
自宅でテレフンケンのスピーカーシステムを2つも使っているので
贔屓したくなったのか、それとも音質を感じ取ったのか?(そんな凄耳であるはずがない)
http://www.telefunken-elektroakustik.com/products/mics/
とても高価なマイクロフォンのように思えますが。
これを使って録音してみたい。今はGPSクロックがあるからとんでもないのが出来るだろう。
DSDか96KHzでやるか?192KHzが実際の機材を考えてメリットあるとは思えないし。
妄想中です。
ノイマンの定評あるマイクの網カバーを普及品のコンデンサーマイクに
付けてみるだけで凄く音が良くなる事実。
銘品は網だけでも音が良いということなんです。
そうそう昔、マッキントッシュの真空管プリの天板を
国産のアンプの天板の代わりに置いてみたらなんとマッキンの音に近づいたことがあった。
だから銘機なのかな?
2013.2.14
八代亜紀、夜のアルバム。
最近発売のCDでジャズのスタンダードを歌っている。
なかなかいい。
あらためてマイクを使う歌唱はマイクを含めた声で録音が
出来上がっているのを感じる。生より迫力がありダイナミックなものだ。
ここがクラシックの歌唱の録音とは異なる。
今は子供でも英語塾があるせいか?とても上手に英語を話す。
なので久しぶりにジャパニーズイングリッシュの魅力を感じた。
クセになりそうな彼女の英語。
だからよけいにジャズ的。
このマイクはなんだろう?
菱形のマークが見えるのでテレフンケンかな?
美空ひばりは好んでRCAのリボンマイクを使ってたと聞いているが。
2013.2.12
音楽が再生できるデジタルケーブルとはいったいどういう意味なのか?
Mt.T2さんとおっしゃるオーディオマニアの方は殆ど毎日ご自分のブログを
更新なさっていることからオーディオへの情熱が伺いしれます。
デジタルリベラメンテをお友達のお宅で試された経験を先週から書いていただいています。
デジタルリベラメンテが他のデジタルケーブル比べどう異なるかを的確に述べていただいておりますので
ご紹介したく思います。オーディオでの音楽と音の違い、私がこれを目的に
開発したケーブルですからご理解いただくのはとてもうれしいことです。
思わずMt.T2さんの許可をいただく前にご紹介してしまいました。
いずれリンクをはっていただくお願いをしようと考えております。
2013.2.12
頼んでいたフルトヴェングラー指揮ベートーベン交響曲3番の入ったCDです。
1944年12月16日録音、ウラニア盤として有名なもののリマスターです。
これで同じ録音で音がよいと思われるものが手持ちで4枚となりました。
それぞれピッチ、音圧が違いますのでそろえるのが大変ですがピッチはともかく
音圧はそろえて優劣を比較してみます。
ミソス、オルフェオ、メロディア、それとレーザーターンテーブルで
LPを再生して復刻された日本製のCDの4種類。
これがすめば友人所有のオリジナル初期盤の再生をデジタル録音機にもらって
GPSクロックを使った復刻CDを造ってみようと企んでいます。
楽しみです。GPSクロックでクロックを入れ替えて聴く場合と
クロックは接続しないでCDプレーヤーのそのままの音の場合の2種類をやってみようと
思います。それと一般的な聴き方での評価を想定してCDプレーヤーも
タスカムの業務用とスチューダーの2種類で比較してみましょう。
2013.2.6
去年の夏の体験です。
今までカメラやビデオカメラなどレンズのあるものには興味を持つことはありませんでした。カメラのコレクション趣味のある方の世界はなんとなく遠く感じて。でもドイツ製のレンズは特別に味わいのあるもので、国産のレンズとは大分雰囲気が違うということは幾度となく耳にしていました。最近初めて自分でそれを確かめる経験があったので書いてみます。
アーチェリー競技をしています。フィールド競技といって山の中で50mくらい先の的を確認するための双眼鏡が必要でした。ニコン製の古いものを所有していましたが、偶然オークションでドイツ製カールツアイスが安く入手できそうなので思い切ってオークションで落札しました。高性能なものが欲しかっただけでカメラマニアではありませんので相場よりうんと安くないと無理です。幸いにもボディ傷だけで価値としては低いが実用性には問題ないものでした。入手して3日、手持ちの同じ口径、倍率のニコンと比較してみましたが見え方は変わりません。逆にさすが国産最高峰のニコンという印象でした。ツアイスの方が少しピントが合わせやすく明るいかな?
偶然ですが土曜の夜に花火大会があり、拙宅の屋上からでもかなりの大きさで見えます。
ちょうど上手い具合に比較ができました。ドイツ製のツアィスのほうが少し見え方が柔らかく、立体感を感じます。遠くの建物の照明などを見る限り差は感じません。少し小さなボディで口径が5mm小さいツアイスのほうが逆にちょっとだけ明るく感じます。
でも真剣に比べたらの話です。
無駄使いをしたかなと思いつつ、ニコンとツアィスを首にかけ交互に覗いておりました。
ところがです、花火が止って煙が広がりだしたときです。雲のように見える煙に花火の
明かりが反射する。なんと美しい、はっとしました。これはいけません、花火の拡がる
速度、色の変化、動きが違うのに気づき初めています。とにかくきれいなのです。芸術的というのか、官能的というのか?どこが具体的に違ってそう感じるのかわかりません。
結局ツアイスのほうがニコンよりすばらしく良い、私にとっては大きな価値あるものになってしまいました。もとには戻れません。そのへんの景色でもきれいに感じますのでもうプラシーボ回路できてしまったのかも? でも的をみたり、分析的にものを見る時は両者に差はありません。どちらでも良いです。かたちもそっくり同じだし。軍用モデルというのか?
オーディオ装置もおなじことなんでしょうね。音の姿、かたちを聴くだけならツアィスみたいなものは必要ない。オーディオではどのアンプが良いのか、どのスピーカーが良いのかと分析的に聞くときは演奏の内容を聴かないで音の違いに集中します。オーディオでは音色、分解能、低音、高温、定位、拡がりなどがチェックポイントです。逆に言葉で表しにくいもの、ダイナミクス、テンポ、調和、構築、個性、揺れなどのようなものが演奏でのポイントです。ではオーディオでは音を聞いて判断するのと、演奏の内容を聴いて判断する似たようで全く異なることを切替ながらやらなければならないのでしょうか?
ところがオーケストラ演奏では指揮者に必要な能力は全体と部分を瞬時に同時に捉えることです。オーディオ的チェックもやりながら演奏の内容もチェックしなければならない。
秀でた才能のある指揮者は切替などせず、両方を同時にやっているのかもしれません。
木もみながら森を見る、うらやましい才能です。
オーディオ装置もレンズの現象と同じことだと思います。
物理特性的にはまったく同じ(ただし測定器の限界、計測方法、音楽との関連での
測定対象が今は解明されていないだけでこれから先はどうなるか不明)でも
音が異なる、再現される演奏内容が異なる結果となるのでしょう。
その後カメラマニアの知人にこれらのことを聞いてみましたが今もなおレンズでなにが
そのような見え方の差になるのか解ってはいないとのこと。
なんだオーディオと同じじゃないか?
そのまた後
評判の良いフィリップスのCDピックアップとプロの世界で評判のよいプレクスターCDドライブの共通項を見つけました。その話はまたの機会に。スイングアームだけが秘密じゃないみたい。
2013.2.4
2月2日に自宅にこられた友人に聴かせてもらった音源。
昨年12月発売のORFEOレーベルのフルトベングラーのBOXの中での一枚。
どうしても耳から離れないベートーベンの3番。
これは日付からして有名なウラニア盤に間違いないと思うのだが
まだ発売したてなので話題にはなっていない。
我慢仕切れず買ってしまった。
音源はテープだと思う。素晴らしい音だった。
何枚か聴いた復刻CDの中では群を抜いてると感じた。
今まで聴いたフルトヴェングラーのCDの中では最高と思える。
もちろんまだ比較してはいないがMYTHOSを上回る。
もちろんMYTHOSは音源がLPなので比べるのは公平ではないが
CDという枠内のことだから仕方ない。
MYTHOSと友人の所有されている初期オリジナルLPの
3つを聴き比べる楽しみが出来た。
2013.2.3
昨日はとても暖かく、夕方知人が来たのもいいタイミングだった。
復刻盤のCDをいろいろ持ってこられたのでいい勉強になった。
一昨日ここに書いたAUDITEのフルトヴェングラー、ベートーベン交響曲5番も聴かせていただけた。
演奏は素晴らしいが音質のほうはもうひとつ、とても最高クラスの
復刻CDには比較できるレベルではない。宇野先生の言われたCDに間違いないと
思うが、弦の音が歪んでいる、ソースのもともとの盤質なのか、復刻での機器によるものか
解らないが出だしを聴いただけで?マークが。
レコード芸術に記事としてその内容が載っていたのを読んだと知人が
言ってたので明日にでもバックナンバーを探し読んでみよう。
レコード芸術は買ってもいつもはほとんどパラパラ見るだけ。
収穫はブルーレイオーディオというものを初めて聴けたこと。
これについての感想は後日。
2013.2.1
久しぶりで宇野先生と電話で話した。
AUDITEというレーベルのフルトヴェングラー、ベートーベン
交響曲5番、
1947.5.25 ベルリンフィル演奏ライブの初日の復刻が音質、演奏とも素晴らしいとのこと。早速聴いてみたいと思った。
その後はフルトヴェングラーのウラニア復刻盤をいろいろ聴いて
オリジナル初期盤の音の良さにカルチャーショックを受けたこと
を話したのだけど、意外にもあっさり同意を得てしまった。
LPとは最初のプレスと後のプレスは月とすっぽんの差
があるものだ、当然のことであるとのこと。ついでにMYTHOS
レーベルの完成度の高さに脱帽した
ことにもこれまた先生の異論はなかったので我が身の至らなさを恥じた。
また詳しく書こうと思うがMYTHOSはメージャーレーベルとは
比較にならない優れた音質である。
中心になって活動されておられる人物のセンスの良さがその理由の全てだと思われる。
復刻作業でこれほどのことが出来るならオーディオメーカー
であれば 世界一のものは簡単に創るに違いない。
まるでオーディオでのスチューダーみたいだ。
なにしろ並のオーディオ装置でこのCDRを鳴らすと
かなりのオーディオマニアの装置で市販CDを鳴らすような音が
簡単に出ると言っても過言ではないので。
2013.1.31
息子の恩人である西川先生からいただいた蝋梅が
こんなに大きく育った。
長い間先生には不義理をしている。
オーディオ装置は無事に動いているのだろうか?
年賀状にはマランツ9を修理に出したら運送屋が
落として壊したがルーツサウンドさんのおかげで
事なきを得たとのこと。
タンノイGRFもさらに枯れて良い音が
出ているのだろう。
聴いてみたいものだ。
2013.1.27
オーディオと音楽で書きたいことがかなりたまってきました。
そろそろ始めようと思います。
あくまで思いつくままの個人的な話に徹するつもりです。
よろしくお願いします。
追加:
パソコンの扱いは得意ではありませんので
読みづらいところが出てくると思います。
写真の入れ方とか難しいですが頑張りたいと思います。