2014.6.26
マスタークオリティーCDの評判は予想以上だった。第二弾はいつ出せるか解らないけれどともかくやる気は出てきた。市販のCDの音質より遥かに良いという事実を認めない方は今のところ無い。唯一の例外としてクレームが一件あって返品していただいた。ずっと雑音があって気になる、手持ちのCDでこのようなものは全くないとのことだった。ライブ録音なので入っている、音質上の理由であえてカットしなかったとご説明申し上げたが気になるので聴けないと言われた。確かに異常なレベルで入っているのでおっしゃることは間違っていないと思う。もう何年も前のことなので文句を言っても始まらない。ホールの空調は切ってもらったのだがビルなのでビル全体の空調は落とせないとのことだった。録音でなく通常の演奏会でも気になるのは間違いない。でも文句を言った方を知らないので都会に住む人は雑音に慣れてしまっているのだろう。そういえば返品された方は地方の方だった。申し訳ない思いだがどうすることも出来ない。
昨日録音の下調べに行ってきた。この日曜にクラシックギターのコンサートが有るので録音させていただく。演奏家のご希望でなく客が録音をお願いした珍しいかたちである。ただし使用楽器が友人のギター製作家の作品だ。彼は非常に真面目な性格だからギターも同じでかなり真面目な音がしていたので本番が楽しみである。96KHz24bitのハイサンプリングで録ることに決めた。問題はダウンコンバート、ビット数もレートも変換の必要があるがとても気に食わない。2日かけてレコーダーとマイクケーブルにかなり手を加えたがこの問題は解決できない。最近のSP復刻テストで自信をつけているのでアナログ出力からのCD化でも全く問題がないのは予想出来る。以前だったら情報より音楽を取るのでサンプリングレート変換なしの44.1KHz16bit録音になったに違いない。少しは私も進歩してきているのだ。オーディオに毒されたわけではない。物理的に良いものは良いが性能が音楽性を損なうのがだめなだけだ。ダウンコンバートしても音楽が損なわれないなら超ハイビットハイサンプリングも歓迎である。
実は先ほど昨日のテスト録音をCDにして聴いてみたからだ。天狗の鼻はどんどん伸びてマイクスタンドみたいになっているのが判る。燃えています。
2014.6.20
オーディオマニアではない方からのご感想が一番心配である。スバリその方、FSさんから長文の感想をいただけた。FSさんは音でオーディオマニアを喜ばすことは可能だがオーディオマニアでない音楽愛好家を喜ばすのは難しいことだと自らおっしゃっている。まったくそのとおりだと思う。昔オーディオ誌でいろいろなメーカーのオーディオ製品をリスニングルームにオーディオ評論家が持ち込んでセッティングする企画があった。面白かったのでよく覚えているが音楽好きでオーディオマニアでないおじいさんはどのスピーカーを鳴らしても気にいらず、結局シングルコーンが一番良いと譲らなかった。その評論家が捨て台詞のように書いたのが、一般の人とは違う特殊な聴き方をされるのでこういう結果になったとの結論。それ以降はこのような結果となる記事は見たことがない。
LPからCDに移行したのに全くCDに興味を示さないオーディオマニアの一途さと同じだ。
音楽で一番大切な部分を完全に捉えておられるのだろう。この場合の音楽は狭い範囲でのクラシックである。他の音楽ジャンルでのオーディオマニアでない音楽愛好家が全て上記にあてはまるわけではない。
だからオーディオでは余計にややこしくなっていくのだ。
先日、貴社の商品、 「マスタークオリティ 有山麻衣子 幻のコンサート」
を注文いたしました、FSです。昨日(6/17)、お品が無事届きました。本来ならすぐにでもお知らせするべきでしたが、夜、CDを聴きはじめたら止まらなくなって、既発売のほうと2枚を聴いてしまい、ならば感想かたがた、と横着心にとらわれた次第です。
♪ ♪
私は宇野功芳先生のお蔭で多くの名演CDを聴く事ができた、宇野さんのファンです。
また元々歌謡曲や唱歌が好きだったのですが、のちにそれらを宇野さんが女声合唱で演奏しているのを知り、そちらのCDもほとんど持っていますし、アンサンブル・フィオレッティのコンサートに何度か行きました。戦時歌謡のすばらしさを知る事もできました。
さらに、クラシックが好きでありながら、すでに文を寄せておられる方々とは違い、オーディオの知識は乏しく、高価な機材も持っておりませんので、オーディオ的な批評はできません。
この様に私は、貴社にとっては変わり種の客と思いますので、文字通りの「感想」でご堪忍ください。
私の装置を挙げておきます。これでもやっと買いました。一応、満足しています。
CDプレイヤー:パイオニア PD-HS7
プリメインアンプ:マランツ PM8004
スピーカー:B&W CM5
♪ ♪
今回の高音質CD。既発売のも音は鮮明だったので、あれ以上はなかなか想像しにくかったのですが、鮮明さに加え、自然に音楽に浸れる心地よさが加わった音で、だからこそ「ほんのちょっと」のつもりが最後まで聴いてしまいました。音の違いを文章にするのは私には難しいですが、何とか頑張って書いてみます。
1、
旧盤は、鮮明ですが金属的にキンキンする感じもあり、ちょっと聴き疲れしました。鋭い針が一直線に飛んでくる感じと言ってもいいでしょう。それで、有山さんの純真無垢な歌唱に好感は持ちつつ、実は旧盤は余りたくさん聴いていなかったのですが、それがなくなりました。音が優しくフンワリと広がってくる。この新盤なら何度でもひたれます。
2、
新盤に比べると、あの旧盤の音が、レースのカーテン越し、というとおおげさですが、ティッシュを通すみたいに聴こえる。
3、
小さい声、音も聴きやすくスピーカーから湧き出してきます(飛び出すというとニュアンスが強い)。特にピアノの音がとらえやすくなったかもしれません。
4、
有山さんと佐藤和子さんが目の前で演奏しているみたいに聴こえる(これは旧盤も同じ)。指揮をされた宇野さんの聴いた音に近いのかとも思いますが、それでいて、会場の響きに包まれる観客席(私たち一般人がいつも聴いている音)の空気、雰囲気も感じられる。舞台での音と客席の音が違うであろう事は、宇野さんの本で考える様になりましたが、その両方を感じられるのが不思議です。
5、
一言で言えば、「鮮明かつ自然で心地よい」音になりました。
♪ ♪
機械的に優秀な音、数値上優れた音というだけでは、恐らくオーディオファンより多い、一般の音楽ファンの心をとらえるのは難しい。このCDは多くの音楽ファンの方を感動させる力を持っていると思います。高価な品ではありますが、それに十分見合う、いい買い物でした。おかげさまで愛聴盤が一枚増えました。それは、人生の潤いが一つ増えた事です。
有山さんの録音で同様の企画を考案中との事、楽しみにしております。本当にありがとうございました。
インフラノイズ 秋葉良彦様
FS
2014.6.18
最近は毎日のように映画を観ている。映画だがシリーズものTVドラマ、それもBBC制作の長編だ。面白くて止められない、30シリーズくらい有りそうだがお終いまで観ると楽しみが無くなってしまうのも嫌だ、でもまた観なおすのは間違いないと思う。それほど楽しい。ベッドでiPadで観る、新しいものはまず買わない私達にプレゼントしてくれた息子に改めて感謝の気持ちが起こる。
それはドクターWHOだ。こちらが知らないだけで英国の国民的長編人気番組らしい。日本ではBS以外は観たいと思わないような番組ばかりだが、いろんな意味でこんなレベルの高い番組をやってる事実を考えると日本人と英国人の文化レベルの差は昔よりさらに開いてるのだと思ってしまう。
iPadでの視聴は月々数百円での費用でいろいろな映画が観られるアプリ?サイト?にある。やっぱり便利な時代になったものだ。レンタルメディアの将来は暗い。でも内容のあるものは手元においておいて大きな画面で観たい気持ちもある。我が家のプロジェクターもホコりだらけになって久しい。
2014.6.5
Mt.T2さんには今回のCDコピーの方法について大変興味を持っていただいているようだ。
少し比較基準についての誤解があるように思えるので追記しておきたい。
私の2013年12月2日のブログをくどいようだが引用させていただく。
昔私がスチューダーのアナログレコーダーで録音を行い、スタジオでのデジタルマスタリングに立会いとてもとても失望したという話である。
「しかし現実は厳しく、アナログマスターテープを聴いて、それが基準になっている耳には、CDを作成する直前の、業務用のUマチック・デジタル・マスターへ、アナログをデジタルに変換したときの失望と驚き。そしてデジタル編集は、まさに地獄だった。プロ用デジタル機器を駆使した編集の工程が、ひとつ進むたびに、一体、私はなんのために、これほどの努力をしたのか?と思う。
この音質の劣化を認めると、まさに私の努力が水泡になる。録音にたずさわったスタッフの全員が、同じ気持だったと思う。このような現実を知らなかったのは、前回の録音の守備範囲が、デジタル変換の絡む、編集作業からだ。
いままではCDとアナログ・ディスクを比較することで、アナログはこんな音、デジタルはこんな音だと、区別して理解していたが、それを遥かに越える体験である。
しかし、今回の経験でクラシック音楽というジャンルに限定していえば、業務用のアナログ機器に比べて、現段階のデジタル機器は、あまりにも大きな差があるものだと認めざるを得ない。」
オーディオアクセサリー誌152号を読み返してみると付録のCDはスチューダーでのアナログ録音とのことだ。上記で私が経験したアナログマスターをデジタルマスターに変換する過程だが、付録のCDでのマスタリングは当時と比較して機材や方法は進化していると思われるのだがアナログマスターの音がそのままデジタル変換されたとは決して思えない。
Mt.T2さんが入手なさったマスターCDRはデジタルマスターの何番目かのコピーに過ぎない。付録のCDを製作された方は決して自分の録った音がそのままCDRになったとは言われないのは間違いない。
だから私がコピーしたCDRの音を比べる先としてはMt.T2さんの入手されたマスターコピーCDRと比較するのはあまり意味があるとは思えない。付録CDRの作成者も自分の録った内容が100%デジタルマスターに変換されたとは思っておられないのは間違いない。これはプロの世界では口にしない常識だからだ。
私がコピーしたCDRの音はアナログマスターに近いはずだ。これは経験から確信できる。音に化粧して雰囲気や音のバランスなどを変化させることは簡単だが演奏の内容を良くすることなんか神様でない限り出来るわけがない。後から出来ることは一番最初の録音、本当のマスターの音質と演奏内容に出来る限り近づけるしかないのだ。
以上ここまで書かせていただいたのはMt.T2さんに本当のことをご理解いただきたいのと、付録のCDを製作されたレコーディングエンジニアに対してこのままにしておいては大変失礼になると思ったからである。私が試みたCDのコピー、一枚が誤解を生み関係者の方々にご迷惑をおかけしないことを祈るだけである。
私の動機はただ一つ。アナログ時代は過ぎ去ってデジタルの全盛期になっているが音楽的な品質についてはCDもスーパーデジタルもアナログを越えるどころか同等にもなっていないのが現実である。理由は大量生産のためのシステムが最初から用意されて出版物と同じ扱いをしたからだと思う。マスターと近い音質の出版物的CDを造る努力が無かったからである。利益でなく音楽の大切さを一番に考える価値観が業界になかった結果であろう。
2014.6.3
Mt.T2さんのブログはいつも楽しく拝見させていただく。
今日の話題は私がコピーしたオーディオ誌の付録CDの音質の差についての話題である。
少し気になったところがあったので私なりの考えを述べたい。
(ただ、1曲聞き終わって、皆さんからは・・・PCの画像レタッチと一緒で、作りこんでいるようなもんじゃないの?とか・・・すっぴんにアイシャドウ塗ってるのと一緒じゃないの?とか・・・化粧って微妙で、難しくて、本人は良かれと思って化粧してても、周りがそう受け取らない場合があるからねとか・・・補正かけると響きとか付くけど、何かわざとらしく感じるとか・・・)
まず私はコピー元の原盤を超えようとしてコピーを造ったのではない。
この世界も因果律で支配されているので元の情報よりコピーの情報のほうが増えるわけはない。
比較されたマスターCDRであるがこれは一番最初に記録されマスターのコピーだと思える。
編集後かそうでないのか解らないが多分アナログで編集をしていないであろうから、デジタル編集は行っていると思われる。何回目のコピーかはわからないがもちろん私が元にした付録のCDより何段階もオリジナルマスターに近いコピーである。
だから私のコピーがこのマスターCDRのコピーを超えることは決して起こらない。
画像のレタッチと同じように化粧や修正をしたから音の印象が良くなったという推察も出るのは
当然だと思うが、そんなに凄いことが出来るなら喜ぶ演奏家は数え切れない。人工付加エコーさえ
演奏家の強い味方なのだから。そんな手法があれば教えて欲しいのはむしろ私のほうだ。
大きな誤解があるのはデーターを保存している媒体の状態と媒体からデーターを抜き出す時の
状況を忘れておられる。コピー時の具体的な方法についてここで詳しく述べることが出来ないのは
ご理解いただけると思うが、この現象?についてのヒントとして以下を書いておく。
1)ワイングラスのかたち、ガラスの質や厚さによって同じワインでも味が全く異なる。
これはワインの状態が変化して味が変わるのとはまた異なることである。
2)日本酒も同じく素焼きの猪口と上薬のかかった猪口で飲み比べると日本酒の濃さが変わったように
感じられる。
3)ビールはグラス、ジョッキで全く味が変化してしまう。
4)同じ料理でも皿によって味が変わってしまう。盛り付けは同じでも。
5)絵画ではキャンバスにより発色が左右される。
これらの現象と同じだとは言わないが、キャンバスがデジタルオーディオの何にあたるのか
考えていただければ少しはご理解いただけるかもしれない。デジタルのディザーを使っているのだと
お考えいただくのも間違いである。これらのコピー作成の時にはディザーもイコライザーも、アナログ工程も
一切なくてただのコピーである。従って色づけや脚色をする方法が無い状態でのコピーである。
2014.5.23
超大型システムをお使いのKさんからもマスタークオリティー CDR 有山麻衣子 幻のコンサートの試聴感想をいただきました。彼女の声がどのように鳴るのかとても興味があります。一度おたずねしたい思いです。有難うございました。
お世話になります。
お送り戴いたCD、一通り聞かせていただきました。
まず、感想まで・・・
目前で歌う歌手の息きずかいが手に取るように感じとれ、声の抑揚もリアルに感じと
れました、
ピアノの伴奏は歌手を支えるように控えめでいて、艶を感じました、
ホールの響きも程よく感じ取れました。
―――まるで目前で実演を拝見させていただいて居るようでしたーーー
平成26年5月19日
2014.5.23
ピアノと言えば思い浮かぶのがいつも試聴でお世話になっているSさん、早速マスタークオリティーCDRの試聴感想をいただくことが出来ました。(写真は試聴感想と関係ありません。Sさんが弾かれたらいいなと思って貼り付けましたが、一昨日この写真に関連ある方と偶然出会うことが出来ました。見るだけでは残念なので触らせていただきに行こうと考えています。)Sさんまた報告しますね、お楽しみに。
「有山麻衣子 幻のコンサート」Master Quality版のCD-Rが届きましたので、早速聴きました。
まず試聴環境ですが、今回はCDということで、久しぶりにCDプレイヤーを使用しました。と、言っても使用するのはトランスポート部分のみで、デジタル出力にて最終的にはDAC-1よりアナログ出力にてアンプに送っています。
SP:エラック CE330(+純正スタンド)
AMP:ラックスマン L-507u
PLAYER:マランツ SA8400→CCV-5→DAC-1(DAC-1にはABS-7777のクロックを導入)
※他、ケーブル類(アナログ、デジタル、SP)はリベラメンテ。
普段PC経由でしたので、機器慣らし、耳慣らしを兼ねて適当に何枚かCDを聴きます。
………。
PCとの違いが出過ぎたら試聴に影響が出るなぁ、と思っていたのですが、かなり健闘…。いやむしろこちらの方が良いのでは?と思える程、普通に、いやそれ以上に良く聴くことが出来たので、複雑な思いがありつつ、本番のCD-R試聴に取り掛かります。
試聴方法なのですが、私は今回のMaster Quality版(以下リマスター版)の前身?である、アマゾンではプレミアがついているという普及版も持っています。比べた方が当然分かり易いだろうと思い、この普及版との比較試聴というやり方で行いました。
普及版から聴きます。ライナーノートにも書かれているように、ビブラートのかかっていない繊細なボーカル、そしてそれを柔らかく優しくサポートするピアノ。元より童謡的な音楽も好きですので、主に眠る時に聴いているのですが、相変わらず心が落ち着く演奏です。また良くも悪くも観客や録音時の雑音でしょうか、それら暗騒音が会場のリアリティ、雰囲気を演出しています。
次にリマスター版を聴きます。1曲目から再生します。曲順が違っているので、普及版とは違う曲が流れますが、違いはすぐに分かりました。色々感じることはありましたが、簡単に言えばベールを1枚脱いだ音が流れました。空間が広くなり、音抜けが良くなり、立体的に聴こえます。しかし何より一番の違いはそれぞれの演奏者の存在感が強くなり、ボーカルは普及版と同じく繊細な表現なのですが、相反する表現ですが、その中に太さ、力強さが出てきました。スピーカーから出てくる音の中には、色々な音(ボーカル、楽器=ピアノ、観客の動く音)が合わさったものが入っています(混濁している)が、ボーカル部分がより判別出来るようになったと感じました。だから細い中にも存在感が出て、太さ、力強さが出たという印象を持ったのだと思います。
またボーカルものの演奏なのに、このようなことを書くと失礼かもしれませんが、ボーカル以上に分かり易く、素晴らしいと感じたのがピアノでした。演奏者は同じでも、その音の響きや伸び、深さ、高音の抜け、さらに音の数と言えばいいのでしょうか、まるで違います。仮にピアノの商談会があったら、絶対に皆こちらのリマスター版のピアノを買いたいと思うでしょう。もちろん値段のことは差し置いて(笑)。お金が無いというのに耳から離れず、ヤバイものを聴いてしまったという状況になってしまうでしょう。まぁ、今回はリマスター版があるのでそんな心配は不要ですが(笑)。冗談はさておき、特にこの効果が顕著だったのが、6曲目の「花かげ」(普及版だと1曲目)でした。
今回の変化もリベラメンテシリーズの時と同じ傾向(オーディオ的快感が無いとは言わないが、いわゆる高音シャキーン!低音ドーン!が主目的ではない)だったため、個人的にこのリマスター版というのは、とても好感が持てました。
他のリマスター版を聴いていないので、このCDのリマスター版に限っては、という表現にさせてもらいますが、この手法による悪い作用は無いと言っても良いと思います。ハイレゾ化やDSD化と言うものはどこかの部分が良くなると、それと反比例してどこかが犠牲になる傾向がありますが、このリマスター版に関しては見当たりません。音の好みではなく、誰が聴いても音の向上は納得せざるを得ない、と思います。本質そのもののレベルが上がっているのですから。もちろん演奏、録音そのものが好みでなければ意味はありませんが。
最後に、このCDの基本的な情報に関してはライナーノートにも記載されている通りなのですが、個人的な見解を述べれば、音圧レベルが低く、それ自体は別に構わないのですが、ライブ物であることを差し引いても、演奏以外の暗騒音もそれなりに入っています。ですので、ボリュームを上げるとそれも一緒に上がってしまいます。会場の雰囲気が出ることは良いのですが、同時に演奏の妨げにもなっていたので、リマスター版という技術とは別に、この作品のこの点に関して、普及版より感じてきた残念な部分でした。
以上、普及版との比較試聴という形で述べさせてもらいました。いくら手焼き等々の色々な技術が使われているとはいえ、同じ音源がこんなに変わってしまうとは…。オーディオの奥深さを改めて思い知らされました。
2014.5.20
レコード芸術誌2014年6月号の月評、録音評でマスタークオリティーのCDRが紹介された。オーディオ評論家の山之内さんが書いてくださった。本日発売なのに問い合わせが殺到している。在庫が無くなる心配も出てきた。記事が出たとたんに大きな反響があることは久しぶりだ。予想出来ることだがレコード芸術誌の愛読者はパソコンは持っていない、持っていてもネットはやらない人が多い。本日も3人おられた。逆にオーディオマニアの方はレコード芸術誌は読まない人も多い、本屋で立ち読みの人も多い。この現象もなんとなくうなづけるのだが、レコード芸術誌に寺島靖国さんの連載、音のいいJAZZ CDという頁があるのは謎だ。
2014.5.15
澤田オーディオさんからマスタークオリティーのCDR試聴感想をいただいた。澤田さんとはずい分前にお会いしたことがあるが、私がオーディオに興味を持った頃から憧れのオーディオ先輩だった。オーディオ誌のリスニングルーム紹介でAXIOM80をパラにいくつか使ったスピーカーシステムが載っていて何度も眺めていたのを思い出す。なにしろ中学生の頃同級生のS君と一緒に河口無線に行ってはAIOM80ARU付きBOXを眺めてはため息を付いていたのだ。彼は音楽が好きで発表会でハーモニカを上手に吹いたおかげでなんとご褒美にAXIOM80-ARUシステム付きとマランツ7Tを手に入れた。中学生の身分でだ。授業が終わってからはいつもS君の部屋に入り浸りになったのは言うまでもない。
そんなAXIOM80を一般とは違う使い方をされていた澤田さんが神様でなかろうはずはなかった。その澤田さんから今回は厳しいコメントをいただいた。これは致しかたのないことである。あの有山麻衣子の歌は四面楚歌でのコンサート録音と言える。クラシックの歌い方を習った?方ならまず認めない。発音が不明瞭。ドラマティックさは微塵もない。プロの歌い方とはほど遠くまるで小学生が少し歌えるようになったくらいのものだ。指揮者なしで歌えるほどの実力はない。でもこれらは酷評だとか、解ってないからだとか言えない。そのとおりで私も同じように感じるからだ。
一方以前キングインターナショナルから発売になったこのCDは無名のクラシックのソロなのに、約5000枚も売れて今は製造終了、おまけに中古のCDは1万円ものプレミヤがついているという事実。これはなにを表しているのか?
答えはこれだ。クラシックの演奏家の中でも他国の演奏家と比べると特にレベル差があるのが歌唱の世界である。クラシックでなければそんなことはないのに残念なことである。たぶん日本語という大きな壁のせいであろうと想像する。大きな口をあけてステージに突っ立って、大げさな日本人らしからぬジェスチャーで歌う歌手、かけないほうがずっといいのではないかと思えるちりめんビブラートにアレルギーを持つ方達に気に入られたのだろうと思える。
結果コメントは大きく二つに分かれたのであろう。
こんな彼女の歌い方に対して強い味方がいたのを最近見つけた。
いずれブログのネタとして取り上げるつもりだがー。
なんとベルカントの発声は言葉が不明瞭で聴き取りにくいという事実があるとのことだ。
2014.5.13
内田光子さんの戴冠式(Philips28 CD-3195)が発売になる直前の話としてプロサウンド誌に載っていた内容を思い出す。2000年頃の何月号か不明だがコピーがあったので部分的に紹介できる。国内盤と輸入盤の音を比較して日本盤はCDマスターが違うと演奏家本人からクレームがついた話である。日本の発売元で調査した結果マスターは同じだったが「国産CDの音質傾向は平板で音楽の躍動感に乏しい、海外盤CDは滑らかで躍動感に溢れる」とのことが判明し、調査を行って発売までに国内盤の音質を向上させることになったとの内容であったと記憶している。CDの材料や規格、レーザーの出力差、製造プレスの違いなどによる音質差なのであろうとされ、CD生産工場3社に音質向上を依頼したとあった。果たしてその後国産CDの音質が輸入盤を上回ることになったのかどうかは書いてなかったように思える。しかし印象に残る記述があった。「内田光子さんが自らの作品で絶句してしまうほど、音楽的音質が品祖で躍動感に乏しいサウンド傾向にあった国産CDの存在は、そして電気物理特性などを重視した超一流のCD製造技術は一体何処に活かされていたのでしょうか。これらの状況から分かったことは、好い音楽的音質のCDは電気や物理特性の善し悪しに無関係であるということでした。規格ぎりぎりの偏心値でジッターを振り回すCDでも、ブロックエラーレートが200を越え異常に多いCDでもプレーヤーに掛りさえすれば美しい音楽を半永久的に再現できるという現実でした。」 今回インフラノイズで販売するマスタークオリティーCDRは量産のプレスCDではないので上記の国産盤と海外盤との音質差というようなレベルの差ではないのだけれど関連する内容であるので紹介した。要約すると物理的な品質が良くても再生音の音楽的な内容とは関連しないと言っておられるようにも思える。私の今回のCDR販売までのわずかな経験だが、物理的特性が悪くとも再生の音楽的内容は良くなることがあるという点では一致しない。データーが良ければ音楽的内容も良くなるとは言えないが、データーの悪いものでは音楽的内容を良くすることは出来なかった。先日このブログで提案したことだが、音質という言葉を音楽質と音忠質に別けたいということはまさにこの部分である。PCオーディオ(デジタルオーディオ)でとことんやられてきたオーディオマニアの方なら良くお解かりだろう。書き込み、読み取り時のエラーレートの良し悪しは音質と無関係ではないのである。エラーレートの少なさは音忠質と大きな関係があるし、音楽質と部分的に関係する。今回発売したマスタークオリティーCDRはマスターの音質を損なわず量産の(手焼きのCDRが量産と言えるかどうかは問題だが、少なくともたった一枚のマスターCDRに対して100枚も製造すれば量産と表現できるかもしれないので?)CDでは世界最高と言うのに躊躇することはないほどの音楽質と音忠質がある。
今回のCDRの音質の秘密はどこにあるのだと問われれば、上記のフィリップス製の海外盤の音質が出来る秘密と究極のPCオーディオマニアの方々が誇るCDRの製作法をさらに進めた両者合体の結果だと答える。リッピングやコピーの時にリベラメンテケーブルを使ったからとか、プレクスタードライブを使ったからとか、GPSクロックを使ったからとか、これだと言えるものはないのである。例えばウイーンフィルの音の秘密は、楽団全員が学友協会から貸与された楽器を使うからとか、楽器の調整はムジークフェラインの裏にある老舗の楽器屋さんが調整するからとか、ピッチが高いからとか、個々の楽団員の腕が超一流のソリストのそれであるとか、オケのチューニングにとても時間をかけるとか、アンサンブルが少々乱れても一人一人のフレージングが完璧だからとか、ムジークフェラインの女神像の金張りバストに音が反射するからとか、座席が昔ながらの籐であるからだとか、シューボックス型のホールだからとか、それぞれの理由は関係すれどそれらのどれが秘密であるのだ、と言えないのと同じだ、と言うのはやっぱりあつかまし過ぎだ。
2014.4.30
ラフォルジュルネ 2014(びわ湖)での演奏会に家内と行ってきた。毎年あるのだがいつも行きたいとは思うものの行けなかったのでうれしかった。エルバルシャのブラームスピアノ協奏曲1番 ニ短調と聴いた記憶のない曲だったがブラームスのブラームスたる寂寥感に満足できた。宇野功芳さんの嫌いなブラームスだが、この反芻するようなうっとしさが嫌いなんだろうと勝手に想像する。指揮者のカントロフとシンフォニアヴァルソヴィアの持って生まれたスラブ育ち的味?なのか期待を遥かに越えたブラームスだった。他の一流のオケでもここまでは出来ないだろうと思う。暗い、悲しいことを繰り返し歌う演歌が日本人でしか表現できないのと似たようなものなのか?クラシックでもそうなんだろうか?
先日聴いたウイーンフィルメンバーでの演奏から時間がそれほど経ってはいないせいか、比較してしまうが。そりゃあウイーンフィルのほうが遥かにレベルは上だ、しかしあの美しい上品な音色でこの演奏を上回るにはそれこそ指揮者がフルトヴェングラーやクナッパーブッシュでないと無理だろうな。
2014.4.28
隣家の花が垣根を越えてきて咲いてくれた。なにかいいことがあるのかも知れない。
でもお隣の側から考えたらよくないことかも知れない。いやそうではない、どちらにもいいことなんだ。まあ物事は考え方しだいなんで、日常は常にプラス思考で笑って過ごすのが健康の秘訣だと思って生きている。
先日アーチェリーの試合で仲間が心配そうに3射して帰ってきた私の顔を見つめた。勉強もでけへんかったし、運動神経もあれへん、おまけに根性もない、そら中たらへんはずやとぶつぶつぼやいたので余程不思議に思ったのだろう、なんかあったんかいな?普段は超プラス思考と楽天の天然と思われてるらしい私がこんなことを言ったからだ。その瞬間気づいた私は言い訳と反省を同時に。もう3日ほど引きずっているではないか、あのピアノの発表会の失敗を。ショパンのワルツ、op69-1は途中で止まってしまった。昨年と同じく楽譜のどこを弾いているのか解らなくなってしまったのだ。指もまるで脳卒中のように震えた。震えの自覚はあるのでそんなこと無視して弾けた。でも次が解らなくなったのではどうしようもない。まあ人前で弾くのに慣れるのは2度、3度の経験では無理なのは解っている。手が震えるとか上手く弾けないとかは当然、いくつかの競技の本番で経験してきたことだ。楽譜のどこを弾いてよいのか解らないというのはどうしようもない。楽譜を見ながら弾いているのにどうしたことなのだ。これでは来年も同じことになる。
理由はあった。家ではアプライトなので楽譜とキーの距離が短い、グランドでは楽譜はキーより大分離れたところに譜面台がある。アプライトでは眼球を動かすだけで両方が見えるのに、グランドでは顔を動かさないと見えないし、時間もかかる。本番ではこれに加えてタッチに自信がないので弾いている指先を見ながら弾いてしまう。その間に楽譜の進み具合が混乱する。
さあこれからはどうするか?グランドピアノを買うか、暗譜にするか、キーを見ないで弾く練習をするかのどれかだ。答えは決まっている、選択肢はなし。記憶力は落ちる一方、お金はない。
頑張って練習することにした。今度も厚かましい選曲でモーツアルトのソナタ K330とショパンのマズルカ op68-2。難曲かどうかは知らない。練習のみだ。
たぶん懲りない性質?
2014.4.25
もうすぐ出荷です。手作りの大変さがわかりましたがどれだけの方に喜んでいただけるかと
考えると準備も楽しいです。
2014.4.24
CDの2度がけとは再ローディング、すなわちCDをセットするトレイを最初にセットして再生する前にもう一度オープン(エジェクト)ボタンを押してトレイを出してから再びローディングして再生することである。 1度がけと2度がけの違いは何だろう。メカニズム的な違いはスピンドルにCD盤がセットされる違いなのではないだろうか?
このように考えた私は以下の方法を試みた。
1)常識的な2度がけを何度か試みて、例外があるかどうか気をつけて評価が逆転することがないのを再確認した。
2)2度目にトレイが出たときにCD盤を持ち上げてから置きなおした。この時の音質は殆どの場合1度がけと同じだと感じた。
3)1度がけのときはすぐローディングせず2)のように持ち上げてから置きなおした。この時の音質は何度かやってみたが変化はするが2度がけの音は出なかった。
4)コンピューター付属の大多数のドライブではトレイはあっても自動でなくローディングは手動である。またCD盤のセットはスピンドル中心に手ではめ込む方式である。同じようなローディング方式のオーディオ用のCDプレーヤー数台とコンピューターによる再生を試みたが音質差は起こるが2度がけ(外してから再セットする)の効果は確認できなかった。
5)CD盤中心穴の円周部分一箇所をヤスリで0.3mmほど削りとって穴を偏芯させたものを作成し、1)と同じく2度がけを試みたが音質の違いはあれども2度がけの効果は確認出来ず、超高音質の本来の音が出なかった。
CD盤の中心穴の精度やCDドライブメカニズムのスピンドルの精度は現在の規格で満足出来るのだろうかとの疑問が起こった。
6)セロテープを1mm幅で10mm長に切ってCD盤中心穴の円周円周部一箇所に直角に二つ折にして貼り付けた。5)と同じ偏芯を目的とした。6)と同じ2度がけを試みたが効果は確認できなかった。
7)6)でのセロテープを外してから同じく2度がけを試み効果があった。1)と同じ結果である。
8)6)7)の偏芯CD盤を4)のはめ込み式ドライブで試みたが4)と同じく2度がけの効果は無かった。
上記の実験は私一人の試みであって第三者による追試は行っていない。また1度がけと2度がけによるデーターの違いを見ようとしてプレクスターCDドライブとソフトにより記録後のエラーレートを測定したが数字としての大きな違いは認められなかった。これも試みの数が少なくデーターに違いはないとは断定出来ない。また偏芯についての測定も行っていない。
論文めいた書き方をしたら、徹底的に反論がくるであろう時代なので以下まとめてみた。
こういう理由でライナーノートにも書かなかったし、CD盤は盤の精度やCDドライブのスピンドルの回転精度により音質差が起こるとか、CDレーザーピックアップの振れが音質に大きく作用するとも言い切るつもりもない。またフィリップススイングメカニズムの優秀性の秘密がこのあたりに隠れていると言うつもりもない。CDトレイがスピンドルにはまったCD盤を真っ直ぐに持ち上げて再び降ろせば最初に人の手でトレイに置くより偏芯が少ないかどうかはメカニズムの精度や動作速度その他いろいろな要因に支配されるであろうから短絡的には偏芯が原因とは言えない。気持ちとしては第三者の方による追試が行われて、アナログと比較して明らかに音楽的でないデジタルの音質がさらに良くなっていくことにお役にたてればという気持ちである。
今回の超高音質CD盤は一般のCDとは異なり本来の音質を引き出すためにはかなり細かいことに気を配る必要があるのは確かなようだ。矛盾するようだが低精度の廉価な機器で再生した場合も一般のCDとは音質差において大きな差があるし、例え一度がけでも一般のCDの音質に戻ってしまうことはない。結論としては本来の音質を引き出すにはいろいろ細かいテクニックが必要なことも確かなようだ。
終わり
2014.4.22
超高音質のCD開発を始めてから今まで気になっている現象がある。数え切れないくらい同じマスター音源から最終的な盤をいろいろな方法で作成してきた。それらを検聴する度に予測していた音質に差が出るので苦労していた。一度聴くのと何度か聴くのとで評価がバラツク。一度聴けばまず評価がくつがえることがないくらいの自信がなければこの仕事は出来ない。体調による不確実さやアルコール性の感度劣化も完全に補正範囲だし、閾値ギリギリのところでの判断についても切り捨ては完全であるとの自覚もある。自信は揺らがないが音質のバラツキに少し戸惑った。
CDが普及し始めた時は音楽業界やオーディオ業界に関係しない人達、言い換えれば利害関係を持たないオーディオマニアで音でなく音楽を楽しむ一部の人達はアナログと比較し決してCDの優位性を認めなかった。音質的(音楽質)では同等と認めなかったのである。そういう人達の意見の中でこういうのがあった。
「かける度に再生音が変わるメディアなんて信用できるわけがないでしょう」
この人は信じられないくらい耳の感度がいいし、クラシック音楽にも造詣が深かった。
そのうちオーディオマニアには常識というほどではないが次のような情報が伝わってきた。
情報を一挙に拡げたのはオーディオ評論家の麻倉怜士さんだった。私も当時なんどか追試してみたが2度がけすると必ず良くなるとか、3度以上やると逆に劣化するということを自信を持ってそのとおりと肯定することは出来なかった。エージングやプラシーボ、機器の違いなどで起こることではないと否定する理由が見つからなかったからだ。でも再生音が良くも悪くもなることは認めていた。
ところが今回の超高音質CDの開発過程での検聴時の音質のバラツキに悩まされていた時この話を思い出したのでやってみた。驚いたことに2度がけしないと本来の音が出ないのである。2度がけすると音が良くなるというのではないので誤解しないで欲しい。しかし10回に1回くらいは1度がけでも本来の音が出ることもある。殆どの場合2度がけしたほうが本来の再生音が出ると言い換えたほうが良いだろう。2度以上行うと劣化するという現象であるが、これは確認出来ない。2度目以降5度とかやってみたがこれは閾値内での変化と感じた。全く変わらないというのではないが。
よほど今回発売のCDライナーノートに注意書きとして書こうと思ったが踏み切れなかった。装置とか個人の能力に依存率が高いこともあるので、2度がけしても変わらない場合もあるかもしれないと考えたからである。
続く
2014.4.16
ウイーンフィルのメンバー一部によるオーケストラコンサートに行ってきました。毎年今頃に催されますがこれで2回目です。前回の印象と同じで素晴らしい演奏でした。アンサンブルを合わせにいかないのに演奏家一人一人のフレージングが完全なので結果として合うという感じも前回同様でした。今回はベートーベンの3番ですので力が入っており音量も充分なものでした。丁寧さ、緻密さ、上品さの上にある力強さです。不協和な成分の倍音によるパワー感はみじんもありません。指揮者がいないので英雄の演奏に期待する毒気はありませんが健康なベートーベンで不満はありませんでした。
ホルンがバッと大きな音で間違って入りましたが観客もオケのメンバーも何食わぬ顔で進行しました。さすが超一流です、このへんも。ミスなんかライブでは問題ではありませんが、あえてここに書いたのは個人的な理由です。高校の時には例の大道芸人のヴィオラ弾きと一緒でオーケストラにいました。講堂での演奏会でちっとも練習しない私はバッどころかホルンでブオーととちってしまいました。最前席の人が露骨にゲラゲラ笑っているのが見えました。それ以来このトラウマが楽器演奏への私の情熱を妨げ続けていたのは確かです。でもそれは昨夜完全に消えました。ウイーンフィルでもホルンではとちるんだもんね。
真面目な話に戻ります。ごく最近らしいですが聴覚で鼓膜、骨伝導の二つに加えて第三の伝導で軟骨伝導というのが実用化されるみたいです。
期せずして私も見つけましたよ、昨夜のコンサートで。名づけて鼻聴覚?杉は大丈夫ですが檜の花粉に弱くマスクをしてコンサート会場に入りました。なにげなく演奏が始まってまもなくマスクを外したのですが音がとても良くなった。商売柄でマスクの不織布が音に悪さをしているなと決め付けてしまいました。でも息苦しくなってまたマスクをしたものの音が悪くて鼻だけを出してみたらなんと良くなりました。演奏を聴きながら不謹慎ではありますが、マスクをずらしてみたり普通にしたり、まてよと思ってマスクなしで鼻を摘んだらマスクをかけているあの音になりました。間違いないですね、鼻の穴を通ってきた音も大事なんです。耳たぶでの反射音ともに耳の穴を入ってきた第一の音。骨を伝わってくる第二の音。軟骨を伝わってくる第三の音。鼻の穴を通って鼻毛でダンプされてきた第四の音。なんと複雑なことでしょう。
ちなみに鼻の穴をふさいだ音は高音が少し減衰した音でした。そのため鮮度感が不足してウイーンフィルの特長である軽く浮かぶ弦の特長が薄れます。花粉症は音楽にはとても有害であることがわかりました。
2014.4.4
ピアノの発表会は明日に迫った。私は自分が少し変わった人だという自覚が全くないわけではない。誇大妄想癖もあるとは思うが病気というほどではないと思っている。しかし全能感というのは幼少時から抜けていないようにも思える。幼児がナントカレンジャーとかキンニクマンに変身できたと思って身構えるアレと同じなのだ。今回はあたかも自分が世界的なショパン弾きと思い込んでいるようだ。そうでなければこれだけ本気になるわけがない。明日は11時オープンだが9時にステージ(実はお向かいのお宅のレッスン室)に行ってリハーサルをやるのだ。
お手本は決まっている、ディヌリパッティだ。
https://www.youtube.com/watch?v=iwduRBXbm2o&list=RDiwduRBXbm2o
間違ってもアシュケナージやキーシンみたいに下手くそにはならないぞ。イングリッドヘブラーも弾いているがブンチャッチャのワルツでしかない。
でも発表会が終わったらリパッティみたいな本質に迫る弾き方をしていると寿命に関係しそうな気がするので私にあった俗な弾き方で楽しみたいと思う。理想と楽しみは異なるのだ。今度は綺麗なお姉さんに変わるのだから全能感というのは素晴らしいものだ、万歳。
https://www.youtube.com/watch?v=vRjMt1fM2nY
2014.4.3
ピアノの発表会は明後日とあっという間にきてしまった。
無謀にも選んだショパンのワルツ、人様のフレージングがどうこうとなんくせ付けてきたバチがあたったのかますます下手になってきた。録音してみて驚いた。半年前に録音してみたのより格段に酷い、もうむちゃくちゃなくらい。理由はすぐにわかった。楽譜を読めるようになってショパンは同じようなメロディーや左手を一音だけ変えるとか覚えきれない変化を付けているのが今頃になってわかってきた。だからショパンの曲はボロ電のようにギクシャクしたり、煮え切らないためらいみたいな感じがあるので他に比べて情感があるのだ。技術的に間違いなく弾くことを練習したためにだらだら弾いて歌うのと反対になり意図しないアクセントが付くのである。
そんなことも解らず選んだので音楽としてはどうにもならないことになりそうだ。当然もっと経験を積んでいれば
フレージングも取れると思うが、そんなに甘いものではなかったのだ。しかし理由が解ったので気が楽になった。間違うことを恐れることなく、歌うことにするぞ。幸いそんなことをしても怒られない先生なのだ。
ルービンシュタインでも間違っているのだ。いや、かってに半音変えている。転調のナチュラルを無視して弾いていたのでおかしく感じていた。今はYOUTUBEがあるので勉強するには便利だ。およそ20人くらいの演奏家のこの曲を聴いた。ルービンシュタインだけ右手の一音がへんなのだ。思い切って宇野さんにCDRにコピーして送ってたずねた。まさかミスタッチでないと思うがこんなのあるのですか?ピアノ演奏では珍しいケースだとのこと。ジャズなら全く気にもしないことがクラシックではかなり重要なのだ。
でもこんなことに気づく方はそうたくさんはおられるまいと自己満足で望まないと神経が持たない。外しまくって弾いてショパンをやるからね。ルービンシュタインでさえ間違うのだから。そのうち上手くなるさー。
2014.3.28
マスターの音質を維持したCDを作成できる自信が出来たので製品化の検討を始めています。
最初は当然ながらマスターを音源として使うのが前提なので手持ちのマスターからとなりますが著作権さえクリアー出来れば個人所有のマスターやオリジナルSP盤やアナログ盤も可能性有り。
世界一の製品版CDの実現を目指しています。
いろんなものを作ってみたい気持ちはあるのですが最低10セットくらい売れる可能性がないと企画としては無理でしょうね。自分のためだけでこんなものも作ってます,アイデアだけではビジネスになりません。
http://www.a-rchery.com/jisakutei.htm
音が良くなる眼鏡なんかもやってみたい、でも補聴器と間違えられそうで売れそうにないです。昔ダンボという映画がありましたがあんな耳をメガネタイプにしただけで効果はあるのですがだれも買わないし、自分で使うのも恥ずかしくて難しいです。
2014.3.17
Mさんのリスニングルームに来たのは3ヶ月ぶりかな?
メインはホロヴィッツが気に入った120年前のスタインウエイが素晴らしい音で入っているCDを聴くこと。まあびっくりしました、スタインウエイの音と認識している基準がひっくり返されてしまいました。ネットで購入できるので
入手して自分の装置で確認してまた報告します。
後はフルトヴェングラーのウラニアの聞き比べ。LPでは初期プレスはもちろん30枚以上の種類、CDでは20種以上はお持ちみたいです。もうビョーキの世界は通り越してると言えますね。聞き比べの結果ダントツはもちろんオリジナル初期プレスのアナログ盤。しかし頑張ったのは選んだ4枚中では意外にもCDが2枚もあったのです。2位は本家英国EMIの有名なレコーディングエンジニア(忘れたのでまた調べて紹介します)がマザーに手を入れた後年のアナログ盤。3位4位はミソスのCDとイタリアEMIのCDでした。これはオーナーの評ではなく私個人の好みでの順位ですのでそのうち変わるのは間違い有りません。
本家英国EMIのCDですが、これはいけません、味も香りも飛んでいってしまって霞の奥から鳴ってます。日本国内の復刻も何枚か聞きましたが酷いものでした。ヨーロッパのレーベルで上位に入らないCDであってもボケテルとかナローとかオーディオ的にだめなものでもグルタミン酸調味料や添加物は有りません。しかし国内盤のCDは明らかに元にはないもの、添加物が感じられます。オーディオ的には良いところは多々あるのは間違いありませんが問題は添加物です。復刻の努力をされている方は自分しかできないとの自信でやられているものばかりです。わざと添加物を加えられたとは考えられません。自覚なしに混じりこんでしまったのでしょう? アナログの国内盤でもそれはあるのですがCDほど強く入ってはいません。日本人の耳と西洋人の耳の違いなのかもしれませんがデジタルではその差がとても大きくなっているように感じました。
2014.3.11
日本酒もオーディオも同じだという暴言の続きです。
デジタル録音再生の無かった時代でも元になるマスターテープと最終的なアナログレコードの音質差はもちろん存在しました。ただし信頼あるレーベルのオリジナルプレスでプレス回数が少ない時の盤はマスターテープの音質に極めて近いことを知るのはわずかな人達です。アナログと言えどもリマスターされて再発売されたものや他のレーベルから発売されるたびに名演奏の内容は薄れていきます。しかしアナログ録音再生はデジタル録音再生と比べ音楽的な内容の劣化は遥かに少なかったと言えます。デジタル録音再生と比べ音の輪郭部の劣化は多いのですが時間軸の狂いが無く演奏内容が変化する度合いが小さいのです。
デジタル録音再生はアナログのように音楽信号そのものをコピーしないので信号の形としては劣化が少なく信号の形の劣化はアナログより有利なのでデジタル録音再生ではコピーしても音質劣化は起こさないとされてきました。データー変化が無ければ音質は変わらないという論理的な考え方です。ところが現実はそうではなくコピーを繰り返してデーター変化が無くても音質は激しく劣化しています。データーに変化はなくても読み取り、書き込み時のエラーに差があるからです。この事実は録音現場、マスタリングのプロの間では常識です。データーに変化無しイコール音質劣化無しが正しいなら、安価なノートパソコン付属のドライブメカも高価なプロ用ドライブメカも全く同じ音質であるはずということになってしまいます。今日ではデーターが容易に変化するドライブもパソコンも存在しないというくらい全てのパソコン関係製品は高品質です。ただしこの高品質は音質とは無縁です。デジタルでの音質劣化の原因は時間とデーターの微細な揺れにあると推察できます。アナログ時代にも揺れはあったことですが、音楽全体の揺れのためピッチの変化は起こしてもパルス時間関係が狂う現象は起こりませんでした。デジタルでの時間軸の狂いによるパルスの位相差の問題はアナログ時代に存在しなかったことなので音楽表現的な部分で大きな差をつける結果となっていました。銀塩写真でプリントした写真と印刷で製版した写真の違いと考えると解りやすいと思います。フィルムを元に化学的に焼き増しをしても色や輪郭に変化がおこり不明瞭になると製版過程で画素の配置が物理的に変化するのは全く違います。製版写真では立体感や細かいニュアンスは伝わりません。現状のCD量産プレスシステムでこの問題を解決する手段は無く、結果としてSACDの登場,ハイビットハイサンプリングへの流れ、PCオーディオの流行、DSDへの期待などが起こってきます。再生のハード側で解決に限度があります。もしマスターと同品質の市販CDがあったならオーディオの流れも変わっていたことでしょう。利便性、採算性と反するのが芸術です。これほどにマスターと市販CDの音質差があるのです。夢を持つオーディオメーカーではCDトランスポートを重量化、超精密化して市販のCDの音質を引き出そうと超弩級のCDトランスポートを開発してきましたが標準的なCDプレーヤーでのCDマスターの音質に迫ることは有りませんでした。このような話題はなぜかオーディオの世界で論議されることはありません。録音現場で常に最終過程の市販CDとマスターの音質差に悩まされるエンジニアやアナログ復刻盤とデジタル録音の両方に詳しいごく少数のオーディオマニアだけが気づいていただけです。オーディオの世界ではマスターの音質を知る人は少なくあくまで市販のCDやアナログレコードが出発点であったからです。
終わり
2014.3.5
ピアノの話の続きの最後です。
思い当たった残るお一人はクラシックではない。ジャズミュージシャン、エリックドルフィー、ジャズについてはよく解らないので断定できないが、論理的な記述で関係ありそうサイトを偶然発見した。エリックドルフィーは初めて聴いた時から面白かったのだが、セロニアスモンクとかクラシック演奏では考えられないフレージングがジャズでは別に特別でもなくごく普通と信じ込んでいたのでエリックドルフィーはジャズの中でも特に変わった演奏をする人とされているとはまさか思ってはいなかった。ところがネットで調べてみたらジャズの中でも特異なフレージングをする人らしい。ジャズはクラシックと違いフレージングが変だとかの概念はないのだろう。音楽的な制約がクラシックとは全く違うのである。
結局のところ広い範囲でみれば音楽には絶対は無く、好き嫌いなのである。
ジャンル別けすれば話は別だ。行儀、作法が無いことが正しいわけではない。
そう言えば最近の日本の歌は変だ。日本語のアクセントとは違って、外国語みたいなのが多すぎる。もっと変なコンピューターのロボット的アクセント、人口ヴォイスの歌声まである。初音ミクという女の子?だ。多数決から見るとこんなことでとやかく言うのがおかしな人であるのだけは間違いない。
でも音楽にはいろいろあって制約の中で個性を出すこともあれば、初めから制約などない自由なのもある。困るのはそれを理解せずごちゃまぜにいろいろ言われたりすることだ。
特にオーディオでは強烈にごちゃまぜになっていると思う。
2014.3.3
1920年製造のベーゼンドルファーを聴いてきました。大阪大学所有のピアノで,この無料コンサートを企画なさったのは大阪大学院の先生です。2台のピアノ、ベーゼンとスタインウエイをステージに2台並べて聞き比べるという贅沢な企画を実現なさったことを感謝します。とにかく素晴らしかったです。演奏者は三輪郁さんという女性、高校卒業してずっとウイーンという羨ましい環境で活躍されたらしい。日本人らしい音でないですね。世界で通用するレベルの演奏、うれしいことであります。
まあ彼女の弾くベーゼンはまるで弦楽器のような音がしました。調律も平均律でないみたい、でも調べてませんが古典律でやったとは思えませんのでピアノ自体がそんな発声をするのでしょう。もちろんピアニストもそれを理解してるからでしょう。これは後ほど答えが出ました。この演奏会では公開レッスンも同時に行われて阪大関係の希望者がステージに上がりレッスンを受けられました。スタインウエイを弾かれた男性はあたりまえですがスタインウエイの音、しかしベーゼンを弾かれたお嬢さんはベーゼンでスタインウエイの音を出されました。予想していた私は別に不思議ではありませんでしたがやっぱりそうなるのでしょうね。
男性はモーツアルトのソナタをなんなく上手に弾かれたのですが残念ながらフレージングが例のごとくでした。また楽譜どおりに音楽を組み立てるのか攻撃的なフォルテで壊れてましたが先生の指導で即向上したのには驚きました。楽譜に書いてある拍子より作曲家が意図したこと、踊りや女性の会話のようにと指導したらフレージングまですぐに良くなりました。では次は私もこのソナタに挑戦しようじゃないか、出来そうだと考えていた矢先に、何年弾いてこられましたかと先生が質問、小学生の時から50年以上ですと答えられたので、それほどかかるのかとがっくり。
所用があったので1時間少々で中座と残念でしたがとても幸せな気分でした。
大阪も文化的には捨てたものじゃないですね。300人満席、かなりの年配のご夫婦とか、照明のように輝く頭部とかですが、普通のコンサートのまちまちな雰囲気は全くなくて本当に好きな方ばっかりという感じでした。残念なのは若い方は殆どおられませんことです。企画なさった先生は高齢の方こそピアノを弾くべきだとおっしゃったので勇気づけられたのは間違いないです。頑張るぜー、ショパンOp.69-2 !
2014.2.28
酒もオーディオも同じだと暴言を書いてしまいましたがこれは以前から考えていたことではありません。
三芳菊酒造をお訪ねして蔵で飲んだ原酒と蔵の庭で飲んだ瓶詰めの酒(前日搾りとビンに書いてあったと後日M博士からメールをいただきました)の味の差がこの考えの引き鉄となりました。演奏を現場で録音したマスター(昔はマスターテープと言ったものだが今はハードディスク、メモリー、CDRと様々なので単にマスターというしかないのか?)が搾りたての原酒とすれば市販のCDは瓶詰めなのでしょうか?
いやそんなものではなくてもっと酷いものだと思います。マスターと市販CDの音質は全く違うもので製品化されたCDの音質に失望し続けてきました。アナログレコードの場合はマスターテープと初期オリジナル盤の音質差は上記のお酒と同じくらいなのかもしれません。時間とともに味が落ちて行く瓶詰めの酒と同じでプレス数が増加すれば型ダレを起こし音の鮮度は落ちて行きます。解った人達が高価な初期盤を求めるのは良く理解できます。コピーされたテープから造られた国内盤など原酒ではないので論外です。しかしアナログの場合は香り(音色)も残るし、主に鮮度の劣化はあるものの音楽(味)の劣化は少ないと思います。ところがデジタルになるとマスターと市販CDの差はアナログと同じと思ってはいけません。とんでもない音質差があるのです。裏返せばPCオーディオやDSD,ハイビットハイサンプリングが持てはやされるのも不思議ではありません。ガラス製のCDや透明度の高い樹脂性のCDが登場するのも決してはったりだけとは言えません。
続く
2014.2.26
念願の徳島池田市四国酒祭りに行ってきました。昨年は直前にウイルス性胃腸炎に感染し悔しい思いをしまし。お目当ては酒蔵の中で飲ませていただけるお酒、目の前で酒樽から汲み上げたものです。他の試飲は四国の酒蔵が集まって量は無制限?で飲ましていただくのですが全部は不可能です。お目当ての蔵での体験がメインで最初にここで出来上がってしまいました。蔵から出た庭先で今度は瓶詰めになった製品を何種類か試飲。瓶詰めと汲み上げの味の差を体験、そしてそれをベースにした他の種類の瓶、無農薬の米のものとかを飲みました。圧巻はなんと言っても汲み上げたもの。とやかく文句を付ける嫌らしい性格は完全に封印されてしまいました。もちろん100点満点。ワインの試飲会に持って行っても上位に入ることは間違いないだろうと思える三芳菊です。これを瓶に詰めたらどうなるか?同じ場所でリアルタイムに経験しました。やっぱり減点でした、嫌らしい性格は85点と付けました。90点はどう贔屓しても無理ですね。
音楽とかオーディオと全く同じなのですね。生演奏と録音の関係そのものでした。
続く
2014.2.20
ピアノの話の続きです。
フレージングとは言葉で言えば標準語みたいなものなのだろうか?では標準語を話さない演奏家はいるのか?下手な人は問題外として一流の人でフレージングが普通でない演奏家はいるのか?
思い当たるふしもあるので早速しらべてみた。超一流の人ではアンドレス・セゴビア、クラシックギターの神様である。この人の弾くバッハはおかしい、フレージングがおかしいのである。これは私は若い時から何度となく感じていた、しかし彼はクラシックの音楽家ではないからこういう風にギターを弾くのだろうと片付けていた。でも今こうして考えてみるとわざとそんなフレージングをとっているのであろう。ひょっとして信仰心と関連があるのかもと勘繰ってしまう。誤解されたくないので付け加えるが私はセゴビアが嫌いではない。バッハだけが変であって他の演奏は代わる人はないと言い切れるほど素晴らしい。いわゆる通常のクラシックとは異なる演奏家なのだ。
もうひとかた、エブリイ・ギトリス、この人もセゴビアと同じくバッハが特に変である。それが理由で好んでは聴いてこなかったのであるが、宇野さんが演奏会に行かれてけっこう良く書かれていたのが記憶にある。それでYoutubeで探してみたが若い時はなかなかいい。それほど変ではない。歳を取ってからは自信が出来てきたのかもしれない、変なバッハを通しておられる。
クラシックというジャンルは現代音楽を除いて、通常は作曲家の楽譜を演奏する。楽譜があるということは作曲家の個性からは逃れられない。演奏者も即興を除いて楽譜から離れることはない。作曲家の音楽であるという枠からは出られないのである。制約という額縁がある限り演奏家には完全な自由はない。やってはいけないこと、出してはいけない音、いわばクラシックの行儀、作法がある。だからフレージングにも基準がある。楽譜にはあらわせないだけである。でも個性を出してはいけないとか、自由がないとかではなくて演奏者のレベルが作曲家のレベルに匹敵するならその演奏家の個性は発揮される。低いレベルの演奏家が個性をあらわに出せばただの下品な演奏となる。
ジャズについてはこれらは当てはまらないようだ。通常は楽譜にたよらない、自分という個性はクラシックのように制限されない、ものすごく自由だ。フレージングについても表現のためならどんなものでも許されるのかもしれない。ジャズについては詳しくないので私が間違っているかもしれないのだが?
続く
2014.2.10
ピアノの話の続きでは無くて割り込みです。
人様のピアノ演奏になんくせ付けて、自分はいったいどうなんだ?と思ってないことは
なかったのですが。
4月5日に決まったピアノの発表会、とは言ってもピアノ先生宅で子供たちに混じって
弾くだけですが。そろそろ自分の音も聴いてみようと音質は最悪のICレコーダーで録音してみました。
まあ最後まで曲としては聞こえますがかんじんのフレージングはどうなんだ。
冷や汗ダラダラで聞き耳をたてた結果は?
自分でこうだと思って弾いてるのに違ってる。理由はすぐに判明、動かしにくい指だけが
キーに力が入ってアクセントが付いているのです。意図しないアクセントです。
これを修正しようとして力を抜くと全てに力が抜けて大きな音で弾けなくなってしまった。
この状態でレッスンに行ったら、もう少し大きな音で弾けませんか?と言われた。
今日は無理です。5時間も弾いてたので疲れてしまったのです、と口が答えてしまった。
高望みをするからこんなものです。
それにしても宇野先生は凄いなー。
音楽評論家は普通は演奏しなくて批評するだけ、いくらでも言えます。
でも宇野先生は演奏家であり音楽評論家、批評の値打ちはかなり違うでしょうね。
へたなこと言うと自分の首を絞める危険が常にあるわけです。
これだけ誉めてることは知りようがありません。パソコンは触らない方ですから。
2014.2.7
ピアノの話の続きです。アーチェリー仲間に小学校の音楽の先生がいる。試合に行く乗り合わせの車の中で日本人の小学生のピアノ演奏のレベルについての疑問を話した。私が言っていることは理解できるとのことで、文化の差かなとも思うとのこと。音楽の授業で最初にさあ音楽の授業を始めましょうと生徒に言わすと、そろって幼稚園児のアクセントでやる。さあ、おんがくの、じゅぎょうを、始め、ましょうと声をそろえる。園児の独特の発声でせんせい、こんにちは、みなさん、さよおうならと全く同じ調子とのこと。これではだめだ音楽の授業では具合が悪いと普通に発音するように教えたことがあるとのこと。幼稚園でのみなさん、こーんにちわ以外で子供の時心の底にしみついてしまうような洗脳経験は他に無いのか?怪しいのは短歌、俳句の世界、そう5-7-5の日本語特有のもの。あるいは応援団の3-3-7拍子。おとなになると3本締めとか1本締めとかが出てくる。知らぬ間に心の底に居座ってくるのだからこれらは西洋音楽をやるには大きな障害にはならないのだろうか?西洋音楽をやらないのなら何の問題もないが。
このへんから疑問解決の糸口が見えてきた。フレージングが出来ていないからではないからではないか?ピアノの先生が子供にフレージングを教えないからではないだろうか?
フレージングがちゃんと出来ていれば外国の子供達のように弾けるのではないだろうか?もちろんフレージングだけではないだろうが。大人の演奏家だってフレージングが出来ていない、いやフレージングの意味さえ知らない人はざらにいる。そしてフレージングが完全になってから今度は芸術性というか、個性というかその人の音楽が出てくるのだろう。
続く
2014.2.4
アーチェリーを始めてから今年でもう8年になるか?
世界選手権に出たいと考え始めた当初から少なくはなっていないのだが年齢的に難しくなってしまった。
どんなものかと自分で100%理解するのに8年もかかってしまったので残り時間に無理が出てきた。世界と言ってもオリンピックの山本選手や古川選手のやっているリカーブボウではない。リカーブボウは競技では学生さんが殆どである。毎日3時間以上練習できる環境は勝てる最低条件だ。
このリカーブボウも続けてはいるが試合に出るのは高齢者の試合である全国マスターズだけである。今主にやっているのはコンパウンドボウと言って映画ランボーに出てきたような両端に滑車のついた近代的な弓のほうである。
90m先の的の中心の直径10cmの黄色い円に楽々当たるライフルなみの精度がある。これは年齢に殆ど関係ない。しかし道具が直接成績に関係するモータースポーツのようなものではなく、やはり99%が腕に関係する純粋なスポーツである。
アーチェリーでは的を見て矢を発射する時は顔の向きが的に対して斜めになる。ライフル射撃でもそうなるのだが矢をつがえないのでアーチェリーよりは顔の角度は浅い。顔向きが斜めになるということは眼鏡を使用しているものにとっては具合が悪い。レンズの中心から外れたところに眼球の中心がくるからだ。中心で見ないということはレンズの歪もあるし乱視強制の角度も曖昧になる。ひどい場合は眼鏡が小型ならレンズの外に的がはみ出してしまう。でも射撃用の眼鏡なら細かく位置や角度を調整できるのでそれをアーチェリーでも使用すればいいだろうと単純に考えた。世界中で射撃用のメガネフレームを製造しているのは2-3社くらいしかない。それで3年前にかなり高価だったが入手した。しかし現実は厳しかった。眼鏡は両眼の強制が普通だ。射撃用の眼鏡でもレンズを二つ付けることは可能だがなんとも不細工なものとなる。射撃と異なり調整範囲が不足する場合もある。それで両眼用でアーチェリー眼鏡を自作してしまった。すこぶる具合が良い。
でも世界中で何人の人が欲しがるのだろうか?
趣味の世界では入り込めば入るほど入手の難しい道具が欲しくなる。でもそんなものを造るところは少ない、少ないから入手しがたい。私の会社でも製造しているのはそんなもののうちの一つだと思う。やはり会社だから利益が出ないと製造出来ない。オーディオマーケットは景気が悪くなって専門誌もだんだん減ってわずかしかない。こんな状況だから趣味の世界でわずかな人が買ってくださるものはますます製造しにくくなってきている。
インターネットの時代になったことは趣味の世界では良いことに違いない。製造元がホームページで直接販売できるからである。直接販売すれば数少ないロットで定価販売できるから不可能ではない。オーディオ販売店においていただけるような製造ロット数の品物とわずかなロット数の品物を分けて考えて極少ロットのほうはインターネット販売すれば良いのではないだろうか?
こう考えると新製品を発表しても10台くらいしか売れないような企画の製品も製造できるかもしれない。今まで造っても売れないからあきらめた企画は山ほどある。このように考えたら楽しくなってきた。
例えば殆ど手作りで造っていたUSBメモリーがあった。これはパーツ代と組み立て工賃が高いので割高になったし、実売もわずかだったので製造できなくなった。しかし評判がものすごく良くて製造終了後も欲しい人が電話をしてこられる。パーツのメモリーも当時と違って大容量のものが安くなってきている。発表した時はただのUSBメモリーなのにどうしてこんなに高価なのかという反対評価が先行して話題になった。マスターCDと比較したらその効能が解ってしまうガラス製CDがとやかく反論をされないのはどうしてなんだろうか?そう言えば磁気浮上式のインシュレーターはかなりの数を販売した。磁石というと効果については疑問のある水とか味に関連する商品はいつの時代でも現れては消える。これと関係していたので売れたのかも知れない。
2014.1.6
自動車でもバイワイアリングがあるというのを初めて知った。ジムカーナをやっていた頃仲間同士の言葉でオモステとパワステというのがあった。オモステとはハンドルのアシストのないもので細かいカーブを曲がるには腕が折れそうになるので腕力があるドライバーほど速く回せる結果、体力でタイムに差が付いた。でもそれはだんだん無くなって行きリニアリティーに優れたパワーアシストが普通になった時にはオモステという言葉も死語になった。機械式に油圧のパワーアシストはあっても電気式のステアリングは聞いたことが無かった。でも現在では実用化されているらしい。
オーディオでのバイワイアリングは珍しいことではない。スピーカーユニット間での電気的干渉が無くなるので音質的にはシングルワイアリングより有利な点が多い。スピーカーケーブルが片チャンネルで2本以上になるのだからスピーカーケーブルの害は2倍以上にならないのだろうか?私個人としてはどちらかというとバイワイア接続のスピーカーは所有していないし、マルチアンプでSPケーブルの数が増えるのは仕方なしにやっているという感じだった。スピーカーケーブルの販売を始めたのでこれについてはわかりませんでは具合が悪い。今日はスピーカーリベラメンテのバイアワイアリングを試されておられるSさんから感想が届いた。バイワイアリング接続の可能なスピーカーシステムでは高低音スピーカーユニット同士をスピーカーターミナルのところでジャンパー接続されている。シングルワイアー接続される方もおられるのでそのためだ。シングルワイアー接続だけならわざわざスピーカーターミナルのところまで内部配線を引っ張ってこなくても短い距離で接続できるし、ジャンパーを使う必要はない。Sさんのご報告ではどうもこのジャンパーが悪さをしているようだ。どこかで書いたように思うがオーディオケーブルの実験をしていた時に気になった話だ。オーディオケーブルでだんだん長さを短くしながらヒアリングするとケーブルの長さがゼロになった時にケーブルの音がなくなって音質は理想化するというオーディオ神話がある。なぜ神話かというとケーブルの両端に付いていた端子同士を接続すると理想のオーディオケーブルの音が聴けるという理屈だから。実際はその残った端子の音がケーブルのあった時よりもっと酷く音質に影響してくる。オーディオケーブルゼロで音質向上のはずが今度は端子の酷い音をより濃く聴いている状態になる。こんな現実があるのでバイワイアリングについては簡単にコメントが出来なかった。
しかしスピーカーリベラメンテの販売を開始してから、わずかだがバイワイアリングを試みられる方からは好結果の報告が多い。マイナスの報告はまだ無い、販売数量が倍になるのだからメーカーとしてはとても有り難いことだ。Sさんからはバイワイアリングの結果報告が1月以上なかったので心配だった。バイワイアリングの失敗例として報告が来ないかと恐れていたわけである。ところが好結果の報告で安心した。またそのジャンパーのことにも触れられておられる。この有り難いご報告はお客様の声と使用例の欄に早速掲載させたいただいた。