2014.12.16
以下のニュースを見てほっとした。LEDはインフラノイズ製品にも使っているが点灯による音質の劣化と不快な色合いの対策には一苦労がある。LEDには塗装を施し柔らかい光になるようにしている。LEDが出す高周波ノイズは端子の根元のフェライトビーズで抑えている。
LEDが自動車のブレーキランプに採用され始めた当初は前にいる車のブレーキランプの赤い色が眩しく、吐き気がして直視出来なかった、街中で車を運転するのが嫌だった。それにも最近はなんともなくはないが慣れてきた。省エネと輝度に反対するつもりはない。
蛍光灯もLEDに代わりつつあるので,100年後には人類の目つきも変化し始めるのだろう。猫に似てくるのか、梟に似てくるのか?いろがはっきりしてきれいだとLEDの色を好む人は確かにおられる、決して妥協してLEDのデコレーションを飾っておられる方ばかりではないのだ。
ルミナリエのニュースはデジタル配信時代でのアナログレコードの存在を思い浮かべさせられる。しかしデジタル配信のクールな音質はアナログレコードやアナログテープの緩んだ音より優れていると感じる人の数は加速度的に増えていくのは間違いない。
LED一色になることや、デジタル一色になることが問題なのだろう。音楽ホールの照明が全部LEDにならないことを祈るしかない。
2014.12.11 神戸新聞より
東日本大震災以降の節電に配慮し、「神戸ルミナリエ10+ 件」は一部作品を発光ダイオード(LED)に切り替えて開催してきた。しかし、20回目の今回は再びすべての作品を従来通り、白熱電球で制作。1995年、阪神・淡路の被災者や遺族らを温かく照らした第1回の光に近づけている。 LEDは2011年からの3年間、毎年2万~4万個を使い、神戸・三宮の東遊園地の小道などに並ぶ作品「ソロピース」を飾ってきた。主催する神戸ルミナリエ10+ 件組織委員会には「色がはっきりしてきれい」との声が寄せられる一方、白熱電球のぬくもりと比べて「冷たい」といった意見もあったという。
今年のテーマは第1回と同じ「神戸 夢と光」。当時に思いを巡らせてもらおうと、組織委は白熱電球に戻すことを企画し、関西電力に会期中の電力需要を確認した。12月は電力供給量に10%ほどの余裕があったため、全作品を白熱電球に切り替えた。
白熱電球は毎年、ルミナリエ10+ 件の本場・イタリアから1カ月半ほどかけてコンテナ船で運搬。現地の職人も来日し、約20万個の電球でソロピースなどを組み上げた。
神戸市長田区で被災した男性(41)=姫路市=は「温かく、優しい色は20年の節目に合う」と眺めていた。(有島弘記)
2014.12.3
聴く音楽は個人の好き嫌いで決まってくると言い切って良いくらい個人の嗜好に左右される。
それを再生するオーディオ装置はさらに好き嫌いで左右される。しかし業務用のオーディオ装置は本来個人のためのものではないのである程度基準がある。そしてその基準も大きく別けてアコースティック楽器の演奏と電気楽器を含む演奏とに二分される。さらに細かく別けると音楽ジャンルにより傾向も変わってくる。
一般向けオーディオ装置はまさにカオスにあり、絶対基準などあるはずもなく、値段による音質レベル差もあるようで無い。一方業務用オーディオ機器は大雑把な基準は有り、世界レベルのトップ製品への評価も好みによる左右は無いと言える。
楽器についてはさらに絶対基準が有り個人の好みという部分は最も大切にされているにも関わらず同時に絶対基準が有り、世界トップレベルの楽器への評価もまず覆ることはない。
オーディオ機器はこの3つの中で一番稚拙な分野であるのは間違いない。これは歴史が浅いので仕方がないとオーディオ分野で生きている者の立場ではかばうしかないのは寂しいことである。
少し前に大阪のオーディオショップでアキュフェーズの機器をお借りしてリベラメンテケーブルをいくつか接続させていただくデモを行った。アキュフェーズの機器と一般的な高級オーディオケーブルの組み合わせの再生ではアキュフェーズの持ち味は損なわれることは無かった。しかしリベラメンテを接続した場合は音質は大きく変化してアキュフェーズの本来の音質は消えてしまった。
デモに参加された顔見知りのオーディオマニアの方のお一人はいみじくもおっしゃった。
「アキュフェーズの音は貴婦人の音です。リベラメンテの音はすっぴんの美人です。」
実に的確に表現されたではないか。
西野和馬さんも昔からのアキュフェーズのファンである。
「リベラメンテをケーブルに使うことでアキュの音が相当、皆さんがもっているアキュのイメージと違うものになったと思う。今の音は、ちょっとアナログみたいなっている。まるで、いい針で再生しているようなアナログのような音、、」これから細かい感想を書いていこうと思う。アキュとリベラメンテ、とてもいいコンビだと思う、、」
アキュフェーズの音質を好まれているばかりでなく、アキュフェーズの機器の性能も同時に評価されているのだろう。そうでないとリベラメンテケーブルを愛用し、評価くださることに矛盾が起きてしまう。オーディオ機器の音質と性能は評価が別なのかもしれない。楽器や業務用音響機器は性能と音質は同列で評価されるのに不思議だ。
先日ベヒシュタインのグランドピアノを弾けたおかげで目から鱗が落ち判断力は向上した。「日本製ピアノの音色はヨーロッパ製の銘器と比較すると劣るかもしれないが、メカニズムは優れているので表現力のある演奏家はあえて日本製のピアノを好むこともある。」
こんな俗説を鵜呑みにして信じていた私は情けない。ベヒシュタインのメカニズムが日本製のピアノに劣るなんてことは有りえないこと、音色も性能も全てにおいて王様は存在している事実を今頃になって知った。値段も王様だがこれはロールスロイスと軽自動車とをどちらも同じ自動車だと言うのと同じで意味がない。
オーディオ世界も時間がそれを解決していくしかないのか?
2014.12.2
いつも遠くからうれしいリポートをくださるフランス在住、パリのGingerさんからの2本目USBリベラメンテ採用、フルリベラメンテ化後の再生音についてのご感想です。なんと第一印象は神ゾーンだったとのこと、製作者としては過分なこの上ない喜びです。有難うございました。
神ゾーンの音
この秋の日本出張の折、2本目のUSBリベラメンテを東京の宿泊先に届けてもらった。
パリに戻ってから早速接続してみる。
ストレージとPC、PCとUSB201の間がUSB接続で、1本目(2.6m)はストレージとPC間に使っていた。
1本だけ使う場合はこちらのほうが聴感的に優れていると 判断したからだ。
今回、購入したのは1.3mでこっちをストレージとPC間で使うことにした。
これでストレージからスピーカまで全てのケーブルがリベラメンテになった。
もちろん、DACにデジタル信号を入れる前にGPS777からCCV5とUSB201にクロック信号を入れている。
経験上、リベラメンテシリーズは事前に想像していた以上の結果をいつも出してくれるので、今回もその想像以上に期待した。
さて、PCの入力と出力それぞれにUSBリベラメンテを接続し、ダブル接続で音だしをしてみる。
「・・・・・・・(なんじゃこりゃ!!!)」
出てきた音は、想像以上の更にその上を行く音だ、、、度肝 を抜かれた。
何と表現したらよいのだろう、、、ホロニック、宇宙的、、、、全ての要素があるような感覚、、、
今までのリベラメンテシリーズの延長線上にあるのだが、延長線の一言では片付けられないこの感覚、、、、適当な言葉が見つからない。
う~む、、、
神、、、神ゾーン、、、そうだこれは「神ゾーン」の音、、、
神などとは恐れ多く軽々しく使うべきではないが、また、流行り言葉もむやみに使いたくないのだが、これが一番しっくりくる。
リアル、広がり、エネルギー、奥行、音の厚み、音色、空気間、などミクロな視点の分析眼(分析耳)で聴いても私には弱点が見つからない。
何を聴いても、ズバズバときまる。出 るところは出、引っ込むところは引っ込む。
遠慮がちに聴こえた伴奏のピアノがはっきり聴こえるようになり、出すぎていたボーカルが少し引っ込んでバランスがよくなるなど。
録音ソース毎にベストな状態にチューニングをしているようなそんな感覚。
これを神と言わずしてなんというのか。
なんたって、私にとって一番嬉しいのは、歌い手、演奏者から伝わってくるものがハンパでないこと。
これはリベラメンテを知っている人なら直に感じていること。そのレベルが脱帽レベルです。
マイケルジャクソンのバラードで涙しました。
Off the wallのこんなハンドクラップ聴いたことがないです。効果音も見事に音楽を奏でる一部になって聴こえます。
Waltz for Debbieの始まる前の場の空気感、初めてです。
いろいろな発見もあり、これも楽しいですね。
フルリベラメンテになる最後の1本でこんな大きな変化があるとは本当に本当に、、、、驚きです。
良い音楽を提供する製品作りというぶれない思い、軸、哲学があるからこそ、1本使用でも数本使用でも効果が減殺されず、相乗的に発揮される。
見た目は少々怪しげな青いウール地のケーブルだが、本当によいものに巡り会えたという喜びを感じさせてくれます。
2014.11.27
このところベヒシュタイン、ベヒシュタインと言ってるような気がする。
先週ピアノプラッツさんのショールームにお邪魔した。
まあこんなレベルの人間がベヒシュタインを弾かせてくれと押しかけたのは始まって以来のことに違いない。
小一時間?弾かせていただいた体験は長らく忘れかけていたもの、本能的なショックだったので3日ほど呆然としていた。
恋人との別れとか、目の前で日本刀抜かれた時、車のブレーキロックで谷に落ちかけた時、正面衝突で死に掛けた時などを思い浮かべるくらいの強烈パンチであった。
感性がやられてしまったので残された立ち直り方法はこの現象をなんとか脳で把握、理屈で整理するしかないだろう。
3日してやっとなんとかいつもの自分に戻れた。
たどり着いた結論は楽器としてのベヒシュタインはもちろん認めるが、最新型フェラーリF1でレースをするにも、優秀なドライバーとコミュニケート可能な整備スタッフがいなければ、鉄くずと言っては失礼だが性能の優れたものほど感性の助けなしではどうにもならないのと同じ。
いくら最高の材料をそろえても料理人の感性がなければどうにもならないのが味の世界であるのと同じ。
私のショッキングな体験はベヒシュタインというピアノに対してのショックではなくてピアノプラッツで完璧にチューンされたベヒシュタインに対してのショックだったのだと理解していつもの自分に戻れた。
2014.11.17
マスタークオリティーCDRはまだ2枚しか発売していないが、とても好評でこのくらいのクオリティーがあれば最新のハイレゾは必要ないと言う人もおられるくらいである。しかしハイレゾを一般的なPCオーディオで再生するのとトップクラスCDプレーヤーでマスタークオリティーCDRを再生するのを比較すればハイレゾは影を潜める。有山麻衣子の録音もUniclaの録音もまだハイレゾは完成された機器がなかった時代のものである。ではハイレゾで録音したものをマスタークオリティーCDRにすればどうなるか?ハイレゾ配信を元にしたPCオーディオでの再生より遥かに音楽が目の前にあるCDR再生が可能なことは間違いない。
実は先日打楽器とビオラという世にも珍しいデュオをハイレゾで録音することが出来た。そして録音結果は演奏者、関係者を驚愕させる結果となった。この録音をマスタークオリティー第三弾にしようと検討中である。弦楽器でも特に再生が難しいビオラと超パルシヴな打楽器のどちらもを対等に鳴らす再生装置があるのかと考えると逃げ出すオーディオマニアの方はけっこうおられるに違いない。JBLとヴィンテージタンノイの両面を合わせ持つオーディオ装置を自慢出来る方はおられるのか?前回の2枚はどちらかというと音楽内容よりの企画であったが今回のものは
オーディオチェックソースとして最適で、オーディオ史上初めてのマスター音質の実現ということになる。
ぜひ実現させたいと思いながら進めています、乞うご期待!
2014.11.11
オーディオセッションデモ、来場者様の感想
早々のご感想ありがとうございます。プレゼント商品?はまだまだ残っております。どうぞよろしくお願いします。
スピーカーは売り物でないので、わざとみかけのみすぼらしいオンボロにしておいたのですがやり過ぎたのでしょうか?
次回またやるのなら美しい姿で、美しい声のインフラノイズ製品にしたいです。デモと全く同等の音質でペアで10万円くらいのなら企画として50ペアくらいのロットで製作可能かも?でも50人の方が買ってくださるとはこのオーディオ不況では
とても思えません。残念です。(2014.11.12)
(1)堺 KT様
ご無沙汰しております、堺のKTです。
サプライズがあるとうれしいので、あえてココも含め事前情報は一切入れずに南船場の7Fに行きました。
今回はUSBリベラメンテも出ましたのでPCがあるだろうという予測をしていたのですが、いざ入室してみると某大手メーカーの最廉価グレードのミニコンだけで「アレ?」と思ったのですがミニコンから伸びるUSBリベラメンテを見て納得。
ユニットがエンクロージャーに収まっているので去年ほどの見た目のインパクトはありませんが再生を開始するとホテルの一室が音楽のあふれる空間に早変わり、一気に楽しくなりました。
お蔵出しの高音質ソースからあらゆるジャンルまでもが収められたUSBメモリーがアクセスランプを光らせるたびにフルレンジから自由な音がこだまするのを心地よく聞いていました。次は2Wayにチェンジ、小ぶりですがなかなかの鳴りっぷりに感心していたところで時間切れ、時間は短かったのですが充分堪能したと共にリベラメンテの比類なき音楽性を再確認しました。
GPSの支援無しでこれだけ鳴らすのはノウハウもあるのでしょうが一番大事なのは音楽への愛
なのかなと思いながら階下へ下り完実電気の部屋へ、クリプトンのペア100万のスピーカが鳴っていましたがPS AUDIO等とのフルセットで2~300万するのでフルレンジの圧勝、階段を降りるとたまたま今から始めるというのでソニーの部屋へ、何度か聞いているのでSS-AR2がいいスピーカなのは分かっているのですがHAP-Z1ESとTA-A1ESがガチガチの音で音楽性皆無、最後に地下でカレーを食べて帰りました。
時間軸的には先に心斎橋に寄っていたのですがラックスマンは評論家氏が今は部品がないか
ら光学プレーヤを出せるだけでもスゴいと力説していましたが、ただ出しただけのクオリティ、dcsはさすがに鳴ってましたが郊外に土地付き一戸建が建つ金額ですので問題外、LINNのEXACTシステムが一番マシな音を出しておりSPDIFの外部入力にGPSー777で整えたソースを入れてやれば面白そうだなと思いましたがこれまた400万円コースでミニコンの圧勝となりました。
(2)兵庫県 S様
「安っぽいオーディオと安上がりのオーディオ」
インフラノイズのホームページにオーディオセッション in Osaka 2014のえらく誇大なデモの予告が出ていましたのでそれを確かめるべく音源を準備して出かけました。一つはガルネリで弾くシャコンヌ、もう一つはFazioliで弾くジャズピアノです。ちょうど顔見知りのお二方がおられましたので、ぶっつけで評価をお願いしました。古今の名器を所有しておられるクラシックフアンのS氏は直近にガルネリを聴いてきたとのことで、間違いなくこれはガルネリの音が出ているので合格というご託宣でした。一方電子音楽にやたら詳しい雑食系エレキテル男子のG氏にこのジャズピアノはどう?と伺うと、駄目よ!と言われると思いきや、その前にかけられたベヒシュタインとまったく違う音であることは確かで、弾き方による出自の違いまで分かるとのことでした。昨今宣伝ばかりの安っぽいオーディオが流行ですが、ケーブルだけでここまでやれるという安上がりのオーディオの見本みたいなケーブルマジックのデモでした。
(3)大阪府 Y様
昨日と今日開催されてるサウンドセッション in
OSAKA(ハートンホテル南船場)の7Fヒノのブースで・・・インフラノイズさんのデモを聞いてきました!・・・お得意の、カモフラージュ・・・ベニヤバッフルの箱にビンテージ?げんこつスピーカーやステレオ誌おまけスピーカーをミニコンポで鳴らす・・・使ってるのはリベラメンテケーブル2本のみ・・・比較もないのでオーディオ的HiFiを必要とする人には???でしょうね・・・でも、デジタルで音の芯を出し元の演奏の所作ごとそこに存在させるなんて・・・この凄さに気付く人はどれくらいいるのかな?・・・分かるのはオーディオを諦めの境地で割り切って聴いてる音楽ファンのみ?(^^;・・・マーカスもロドガブも見えて聴こえた・・・
(4)兵庫県 M様 (2014.11.12着)
インフラノイズのブースで聴いた音について素直に感想を述べてみたいと思います。
私がインフラノイズのブースに着いたのは4時半前でした。4時頃までに行く必要があったようですが、4時半からイベントが始まるものと勘違いして遅くなってしまいました。しかし社長の計らいですぐに、この日のために作られた装置で私の好きそうなパーカッションを多く含むJAZZ系の音を聞かせてもらった。
イヤーびっくりしました。私好みの芯があるしっかりした音で、とても気持ちの良い音でした。この音を聴くまではハイエンドオーディオショーで聴いたイベント会場のJBLエベレストとトライオードアンプの組み合わせ及び、マッキントッシュのブースが一番良い音で鳴っていたと思っていたのですが、スケールの違いこそありますが秋葉装置が奏でる音も負けていません出した。重心が低く且つ中域の分離が良い音で私にとって理想的な音が出ていました。自分の装置でもこのような音が出ればもう後は音楽を楽しむだけなのですが。ビクターのレシーバーと改良拳骨スピーカが奏でる音でこのようなすばらしい音が出ることが不思議でなりません。秋葉マジックすばらしいの一言です。社長の1000万円装置と勝負するなどと大ボラかと思っていたものがうそではなく本当でした。リベラメンテによるのか、改良スピーカよるのか分かりませんがトータルで聴く音は本当にすばらしかった。音だけを取り上げれば、メインに据えても良いように思うのだが、見た目が少し悪いかな。しかし、このような音が出せるなら、トータルでの音を目指した製品を出して欲しいものです。若者でも購入できる価格で出せればヒット間違いなしと思うのだがどでしょうか。
(5)兵庫県 D様 (2014.11.13着)
日頃の行いのためか景品が当たったことはないが、景品につられて(?)オーディオセッションに出かけた。オーディオセッションでも同時開催のハイエンドオーディオショーでもゴロゴロ抽選会があったのだが、勿論、ハズレだ(T_T)
その中で、とても印象に残ったインフラノイズ社のデモのレポートである。
その貧相(失礼!)なデモシステムの音は、低音・高音は物足りないし、ダイナミックレンジもイマイチだし、超微細な音まで聞こえるという訳でもない。オーディオをそういう視点で捉えている人には受け入れられないだろう。しかし、ヘソ曲がりな当方はもう少し聴き入り、ある点に気付いた。
演奏の違いや楽器の違い,弾き方が非常に明瞭に判別可能であり、ついでに、鐘の音や街の騒音も本物か? と間違えるようなフォログラムとして表れているという事だ。
どうもこのシステムの音は、「音の形」が崩れていないようだ。その点においてピカイチであり、他メーカのデモでは聞けない魅力的な音であり、音楽を楽しくかつ正確に表現している。「音の形」とは「楽器の響き」=「楽器の倍音」であり、オーディオ的には「音の倍音」と言えるものだと思う。音の形に変形が少ないので楽器の音に違和感を覚えないという事だろう。ちょっとした事で音の形は崩れてしまうので、これはスゴイことだ。しかも、この倍音再現性はパルス音にも健在であることに驚く。聴感上、先述のデメリットが気にならないのは、この倍音再現性が要因だろうと思う。
トンデモナイ音を聞いてしまった。もう後戻り出来ない。ケーブルの効果半分、スピーカの効果半分といった所だろうが、ケーブルのインパクトは大きかった。電線病に伝染しないことを祈るばかりである。
--------------------------------------------------------------------
(2014.11.17)
Dさんの感想はダイジェスト版であって長文の元版があるとのことでした。
無理を言って以下元版をいただきました。
ゾウ対アリの対決といった所か。しかし、この場合、1匹のゾウを相手に無数のアリが襲い掛かるというのが常であるが、非常識に高価なメーカ各社のオーディオ(1セット)に対して庶民的なオーディオ(1セット)で戦いを挑もうという話で、言ってみれば、1匹のゾウと1匹のアリの対戦という話だ。
何の話が始まったかというと、ハイエンドオーディオショーと同時開催されるオーディオセッションというオーディオイベントにおけるインフラノイズ社のデモ機器である。
SDカードにwavファイルの音源,ビクターのミニコンポ,自作箱に入れたナショナルのゲンコツスピーカ(骨董品)、これらを繋ぐのはインフラノイズ社の絶対的自信作リベラメンテケーブル、これがデモ機器一式である。
まずハッキリ言える事がある。それは見た目、貧相である事。
並み居るオーディオイベント参加各社の機器は、相当カッコイイ。オシャレとでも言い換えることができる。それらメーカの数十万、数百万、数千万円という機器達とインフラノイズのデモ機器は外見において肩を並べることは到底無理。始めから大きなハンデを背負っている。人によってオーディオに求めるモノは違うだろうが、貧相な機器を部屋に迎え入れる事ができるか?との問いにビジュアル的に拒絶反応を示し、見ただけで通り過ぎる人は数多くいるだろう。また、ベテランの方々は「このスピーカは昔良く聴いたし使っていたこともあるので、音は十分熟知している」と見ただけで通り過ぎる人も数多くいるだろう。
しかし、ちょっと待ってほしい。マニアが数多く集まり各機器を吟味するオーディオイベントに参加するオーディオメーカのデモである。そんな反応は重々承知の上で、見栄えの良い高級機器ではなく、*あ*え*て*先述の機器を選択するのには、相応なネライ・イト・シュチョウが隠されているのは当然の事だろう。豪勢な機器でデモをしている他メーカ、と一括りするのも横着だが、多くのオーディオメーカに一言モノ申す、いやメーカに対してというよりオーディオマニアにこそ意識して,感じて,聴いて欲しいポイントをデモしたいが為の機器選択とは考えられないだろうか。
重厚な調度品やオシャレな家具がセンス良く置かれたステキなお部屋のオーディオには、ステータスやオシャレさなど見栄えを求めるのも十分納得できる。また、幻の機器や希少品,珍品をコレクションするのも良いだろう。そういった方々は、それぞれの価値観で選択すればよろしい。
問題となるのは、機器選択の基準が音という抽象的かつ感覚的なものである場合だ。相当やっかいなのは、音のどういう所を聞いているか?ということで価値観が大きく変わることだ。
残念ながら以下のような観点でオーディオを楽しんでいると10万円オーディオは1000万円オーディオに全く太刀打ちできない。踏みつぶされて終わりである。
・ワイドレンジ(超低音,超高音)
・ダイナミックレンジ(目の覚めるような音,すっと立ち上がるような音)
・静粛感(混濁感のないスッキリした音,音の見通し)
・繊細感(ドラムのブラシが1本1本見えるような音) などなど
そういうことで、アリさんはゾウさんには勝てません。…とならない所がオーディオでして、インフラノイズ社のデモでして、ついでに日記のネタになるという事です。と言っても、千差万別な価値感があるので、1000万円オーディオに軍配を上げる方もいるでしょう。
想像の通り、1000万円オーディオには1000万円オーディオの良さはありましょうが、誠に自分勝手な価値観となりで申し訳ないが、音楽を楽しむ為の音という観点で10万円オーディオに軍配を上げたい。
しかし、先のようなポイントでは勝てません。低音・高音は物足りないし、音のキレもイマイチだし、聞こえないような音まで鮮明に聞こえるという訳でもない。
このシステムの一番の目に付くポイントは、音の飛びの良さである。ウジウジした音や小難しい音ではなく、スパンっとした音が聴く人にスカっと飛ん込んくる非常に闊達な音である。フェアの中では珍しいものの、こういう音は時折聴く事ができるのであるが、10万円オーディオの特筆すべきスゴイところは、音の形が崩れていない所である。つまり、正確な音の形で聴く人に音を届けるのである。「音の形」という表現、他の人から聞いたことがない。単純に楽器自身の音の形という意味なんですけどね。デモを聞きながら「音の形が正確」とはどういうことだろう?と考えてみた。多分、それは、「楽器の響きが正確」と同義。楽器の響きが変であれば、音の形にイビツに聴こえ、楽器の音に違和感を覚えるということなので、ガッテン。「音の形」=「楽器の響き」=「楽器の倍音」であり、オーディオ的には「音の倍音」と言えるものだと思う。正確と言っても音の形に変形が少なく違和感を覚えないという事だろう。
10万円オーディオは、楽器の倍音を正確に再生できるていると思える。このようなシステムはなかなかお目にかかれない。この辺りがデモのポイントではないかと思う。
ついでに書いておくと、このシステムの特質ポイントは倍音再現性がパルス音にも及んでいることだと思う。それによってフォログラムが表れ、演奏の違いや楽器の違い,弾き方の違いが明瞭になるのだと一人納得した。そして、1000万円オーディオに勝てないポイントが聴感上、気にならないのは、この倍音再現性が要因だろうと思う。
蛇足ながら、アムステルダムの鐘の音や街の音なども聞かせていただき、楽器のみならず、すべての音の倍音再現性に優れていることにも相当な驚きがあった。
今回のフェアでは、時間の制約からあまり多くのブースに立ち寄れなかったのであるが、比較的長居(と言っても5~10分程)できたのはレコードでデモをしていた所ぐらい。音の形は、デジタルより、レコードの方が崩れ具合が少ないという傾向があるようだ。機器構成はシンプルで高能率なスピーカを使うと、使用機材の音(クセ)が出にくいと思われる。その辺りもインフラノイズの機器選択のポイントなんだろうと思う。音のクセは音の形をクズしちゃいますからネ。
一応、ケーブルのデモであるが、あの音をゲットするにはケーブルさえ入手すれば良いかというとそうでもないだろう。スピーカにも相当なノウハウが注ぎ込まれていると思われる。ケーブルの効果半分、スピーカの効果半分といった所だろうと思う。
最近のオーディオ機器が置き忘れてきた忘れた大事なモノを意識させてくれるデモであったと思う。大変満足な一日でした。
オーディオにおけるケーブル選択は最後の味付け程度という認識であったが、ケーブルの影響力は窺い知れないレベルであったことを再認識しつつ、電線病に伝染しないことを祈るばかりである。
(6)岡山県 K様 (2014.11.14)
インフラノイズのげんこつスピーカーを聴いてきました
日曜日にAudio session in OSAKAに行ってきました。
あいにくの雨模様でしたが、まずは日本橋ナニワネジでインチネジの調達をし、
これでやっとFairchild215Aと220Aを簡単に切り替えて聴けます。
心斎橋に移動してオーディオショーを覗くと、タイミング良く三浦氏の講演に参加できました。
楽しく和やかな講演で、音も良く、とても好感を持ちました。
バスでオーディオセッション会場に移動し、地下で昼食を済ませて7Fに移動しました。
お目当てのインフラノイズのデモでは、のっけからビックリさせられました。
ナショナルのげんこつスピーカーがしなやかに軽やかに力強く音楽を奏でていました。
いろいろな曲が次々に掛かり、それぞれの音楽の特徴が良く表現されており、たいへん楽しめました。
特にベヒシュタインの音色が素晴らしかったですね。このようなオーディオの催しに参加するのは本当に久しぶりで、ほぼ20年ぶりぐらいでしょうか。とっても楽しかったです。
(7)大阪府 G様 (2014.11.18)
モノが違う。
ワイドレンジとか音が浮かぶとか音楽的な響きとか
オーディオの素晴らしさを表す表現はいろいろありますが、
そういう次元を飛び越えた音に出会った気がします。
オーデォオセッション、ハイエンドショー合わせていくつものブースを聴いても
インフラノイズとそれ以外の2つに分けられるほどの圧倒的な違い。
きっと、オーディオに求めるモノ、オーディオで目指したいモノ、
そんなオーディオと向き合う姿勢そのモノが違うのだろうと感じました。
当日受けた衝撃についてはここまでにして具体的な感想ですが、
まず感じたのは生楽器の音圧が正しく表現されていたこと。
ホーンに代表されるシステムのクセとしての音圧ではなく
楽器が生む音圧をそのまま感じさせる―そう聴くというより感じる!-オーディオは
初めての体験です。わずか8インチのユニットがウッドベースの音圧を表現するとは!
小口径派に夢と希望を与えてくれるデモだったと思います。
また、楽器本来の響きをきちんと描いていることも感銘を受けたポイントです。
ベヒシュタインはまさにベヒシュタイン独特の濁りのない音でしたし、
マイケル・ヘッジスの音源からは彼の愛器マーチンD-28+サンズピックアップの音が確かにしました。
さらに弾き手の個性まで表現しているのには驚きしかありません。
ジャズピアノの音源を聴いているとき、自分が発した「クラシックぽい」という何気ないひと言。実は正解だったらしく、クラシック出身の方の演奏だったそう。
ジャズもクラシックも門外漢の自分ですら理解できるほど、ジャンルによるタッチの違いもきちんと聴かせるとは何とも心にくい。
そして、一番のビックリは、ここまでの音を生むのに必要なのはリベランテケーブルだけだったこと。今までオーディオメーカー・販売店・メディアから発信されたさまざまな情報は何だったんだろう。。。それらが的外れなことをインフラノイズは音で雄弁に語っていたという感想を持ってこのレポートは終わりとします。
2014.11.10
おかげ様でオーディオセッションのインフラノイズデモは無事終了しました。
有難うございました。題目の1000万円オーディオVS10万円オーディオについてはこちらが勝手に選んだ幅広い音楽ジャンルそれぞれ専門の方、全員が合格点をくださったおかげでインフラノイズ大ぼらふき、大風呂敷の汚名は逃れましたのでやれやれです。
ウイーンフィル、モダンジャズはもちろんロドガブまでステレオオマケスピーカーがこなしました。うれしかったのは皆さんが鳴りっぷりに心の底から驚かれているのが解ったことです。
写真のようにデモで使用したアンプはビクターミニコンUX-GM55-S/-Nのものです。CDプレーヤーは内臓のものとアナログリベラメンテで接続したCDウオークマン、スピーカーリベラメンテ、USBリベラメンテです。デモ音楽の殆どはUSBメモリーに入れたWAVファイルでした。
興味を持たれた方以外はみすぼらしいスピーカーシステムでまるで視野に入ってはいないようでした。展示してあるリベラメンテケーブルはすでにご存知の方もけっこうおられて手にとって見られました。ゲンコツスピーカーについては開発当時、ゲンコツユニット設計者ではありませんが、当時の同期の技術者に聴いていただけたことがとてもうれしかったです。コーン紙を含めかなり手を入れたので元の音とは全く違うものになっていましたが、たくさんの工夫がある設計で興味深いものでした。設計者にお会いするには時間が経ちすぎてかなわず残念でなりません。
リベラメンテケーブルについての質問はとても多かったです。
デモのやり方で他のケーブルと比較試聴しないのでスピーカーが良いのか、ケーブルが良いのか判らないではないかと怒られたお客さんにはびっくりしました。
以上報告まで。
2014.10.31
間も無く開催されます。ソースはたくさん用意しましたが、ぜひお気に入りのCDやUSBメモリーをお持ちください。1000万オーディオのブースで聴いてからお越しください。一番上の7階でお待ちしています。ゲンコツスピーカーとステレオオマケスピーカーは毎日加速度的に成長しています。お楽しみに!音質向上マル秘テクニックの大公開です。
2014.10.23
11月に大阪でオーディオセッションというオーディオショーがある。2日間インフラノイズ製品のデモをすることに決定した。製品と言ってもリベラメンテだけでケーブルのみだがテーマはローコストのオーディオ機器でどれだけ音楽が鳴るかというものである。
振りかざした大ぼらは
リベラメンテがあれば数百分の一のコストで1000万円オーディオに勝てる!
使用するスピーカーは小型だしアンプのパワーは小さいので総合点で1000万オーディオに挑戦するのではない。
ジャンルを問わずどれだけ音楽を再現出来るかというポイントである。
使用するスピーカーはステレオ誌の付録にあった小型スピーカーの組み立てキットと昔懐かしいテクニクスのゲンコツダブルコーンスピーカーの2種。
これを聞いただけで嘘に決まっていると思うのが正常な人の反応だ。
さあ結果はどうなるだろう。
オーディオ界一番の大ぼら吹きでオーディオ史上に名を残せるか?
一つはフォスター製のユニットであり、音楽の友社関連のものだし、もう一つは昔のものとは言え天下の松下電器の銘品?だから
無視される結果になるだろう。
ウイーンフィルが鳴るとしても、ロドガブも鳴ったらどうするのか?
2014.10.22
ベヒシュタインの音について早く報告しなくてはいけないのに、あまりにも素晴らしい音だったので言葉でそれを伝えるのはとても難しく時間が経ってしまった。
タイミングを逃した感じではあるが先週の金曜にかなりオールドなベヒシュタイン、コンサートグランドを聴く機会があった。演奏会ではなくて今週の土曜日に催されるコンサートのためのピアノの調整に立ち会える機会があったからだ。あえて調律と書かないのはこれまで何度か経験したコンサートグランドの本番前の調律とは全く違った取り組みの様子だったからだ。
調律師さん二人がかりで何時間もかけて行われたのだが、通常のステージ調律はキーのそれぞれの音を合わせるだけで、今回はそれに加え曲を弾きながら整音なさっている。調律をしながら演奏でチェックされる現場を見るのは本当に初めての経験である。ヨーロッパではそのようなこともあるとは聞いていたのだが。
いったい何をやっておられるのか細かいことはわからなかったので後からたずねてみるとピアノ線と下がっているハンマーの高さを一つ一つ計測して揃えてからキーの音を調整されたとのこと。演奏するピアニストのためというより、むしろピアノ自体に愛情を持って臨んでおられると言ったほうがいいのかも?
それくらい今まで調律に立ち会った経験とは隔たりがあった。
ピアノの置かれてある場所は毎日新聞大阪本社の2Fロビーである。このピアノがここにある由来は詳しくは知らないがずいぶんと酷い状態であったらしい。戦前からあったような気がする。つい最近まで弾かれることなく倉庫で眠っていたのかな?
クラングフィルム、オイロダインというドイツ製の超弩級のスピーカーシステムがある、戦前のものなのに現代のハイエンドスピーカーも太刀打ちできない素晴らしい音色と音楽再生能力を持っている。友人のTKさんが所有されているものも何種類かあるうちの一つだ。こんな話を聞いたか、読んだかは忘れたが、戦前に兵隊さんがラジオ体操をするためにこのオイロダインを使っていたとのことである。ひょっとしてこれと同じようなことではなかろうか?まさかラジオ体操の曲を弾くために毎日新聞社がベヒシュタインを入手したわけではないだろうが、真珠とか小判の例えだったのならは日本人として恥ずかしい。
調整が終わって、短い曲を弾いていただいた。
想像していた音である。ピアノの音なのに一音が純粋でまるで弦楽器のような音だ。スタインウエイと同じく敏感な音ではあるがキラキラした音がなくて、揺れずに伸びる。オルガンに近い感じもあるのにピアノだから切れ込むのでフワーという感じではない。オルガンの音をベースにしているのにピアノハンマー独特の打音があり、弦楽器のようにアンサンブルするといえばいいのか?夢で想像してきた理想の楽器。今まで心の底で感じてきていたピアノという楽器への不満が一掃されてしまった。
なんのことはない、ピアノというのはやっぱりこのように完成された楽器だったのだ。
戦後に生まれた私は日本以外での音楽体験なんてほんのわずかだし、ピアノと言えばヤマハとスタインウエイという日本の環境にどっぷりつかっていたのだから仕方ない。だがやっぱり恥ずかしい気持ちはぬぐえない。
厚かましくも音を出させていただいた。なんと軽いタッチなんだろう、軽いのに音は深い。
単音でも気持ちがいいのだ。
帰宅して自宅のヤマハアプライトを弾いた。
なぜか軽く音が出る。家内が言った、いつもと違って押さえつけない良い音がしてると。
しかし翌日には良い音はどこかへ行ってしまっていた。
ベヒシュタインを何度か弾いていたらひょっとしてヤマハアプライトでも良い音がでるのではと甘い希望が浮かんだ。
幸せである。
2014.10.1
ヨーロッパの一流中の一流レーベルでも音質を維持するのが難しいのだ。
これはアナログでの話だ。ではデジタルではデジタル初期で言われていたこと、デジタルはコピーしても音質は劣化しない。これは嘘だったのだろうか?アナログのコピーとデジタルのコピーは音質が劣化する点では同じだが劣化する部分がかなり違うのである。デジタル初期の関係者の音楽に対する姿勢も関係したではあろうが、音楽でなくて音を聴いていた人が多かったのかもしれない。いやデジタルの方が理論的に複雑で難しいので音楽と無関係な技術者が多くて当時のオーディオ界で発言権が強かっただけだったのかも?
いずれにせよ、アナログコピーは鮮度が音楽的内容に比べ劣化が激しい。デジタルコピーはデジタルマスターがすでにアナログマスターより音楽的内容が劣っているのはさておき、コピーしても鮮度(これは表面的な音のかたちという意味だけ)の劣化はアナログに比べ少ないが、音楽的な劣化はもともと劣っているのに加えデジタルマスターの次のコピーは大幅に劣化してしまう。このコピーの繰り返しの結果がデジタル録音再生時代、製品化されたCDの黄金時代の現実だった。
上記のアナログレコードの音質差でもこんな具合だから製品化以前の問題であるマスターテープのコピーでの音質劣化は簡単に想像していただけると思う。電気録音再生が始まって以来どれほどたくさんのエンドユーザーが○○されてきたのかと言っても言いすぎじゃないと思う。本当のことだから。
それで話はデジタル録音のマスターの音質差に戻る。宇野功芳さんから手配していただいたDATデジタルマスターの話の続きだ。その後であるがDATマスターの音をそのままCDに移したいという気持ちは変わらない。CD作成用に編集したサブマスターも入手しているがマスターの次のコピー(最初のコピー)でも例の純度、あれと呼んでいた音楽的要素は殆ど残ってはいない。アナログマスターからの最初のコピーならこれほど純度は劣化しないことは経験的に知っている。何度も書いてきたがスタジオでアナログマスターをデジタルマスターに変換した時の酷さよりDATマスターの最初のコピー、編集済みCD作成用サブマスターの作成時の劣化のほうがましなように思う。それほどアナログとデジタルの音質に差があるわけだ。もちろん純度の割合はアナログが遥かに上だということは絶対にくつがえることはない。
ここで上記のややこしい話を整理しておくことにする。
なんども言うがあれ、純度は生演奏にあるがハイエンドオーディオでのCD再生では消失している音楽要素のことである。
この要素については音楽ジャンル、演奏家の能力、聴き手の感性などに大きく左右されるので万人に共通するものではない。従ってこの話題については感じる人、共感する人に限ったことと思って欲しい。
1)アナログマスターはデジタルマスターより純度、あれを含む割合は遥かに高い。
2)アナログマスターはコピーすると鮮度(音のかたち)は劣化するが純度は鮮度ほど劣化しない。
3)アナログマスターをデジタルマスターに変換すると純度は著しく劣化する。音の鮮度はそれほど劣化しない。
4)デジタルマスターと次のデジタルコピーの差はとても大きい。鮮度はそれほど劣化しないが純度は著しく劣化する。
一番目のコピーと2番目のコピーでも差はあるが最初のマスターと最初のコピーの音質差ほどではない。
コピーを繰り返すに従って音質差は少なくなっていく。製品化されたCDをコピーした場合ではなにも配慮せず偶然にコピーのほうが音質が上がる場合もある。
5)アナログマスターの最初のアナログコピーは鮮度は劣化するが純度はデジタルコピーと比べ劣化は穏やかである。
6)デジタルマスターの最初のデジタルコピーは鮮度はそれほど劣化しないが、純度は絶望的に劣化する。
結論として
鮮度についてはデジタル時代になって、ハイレゾなどの高性能化を含めその録音再生技術は進歩しているのは間違いない。ところが純度についてはアナログ時代から比べ全く進歩はなく、むしろデジタル技術の普及により退化している。これはショッキングなことであるが現実である。さきほど述べたように純度という言葉で表している音楽的要素についての
価値観は人それぞれであるので周波数特性や歪、解像度などの要素と同じような項目として扱い、数字にすることは不可能である。
デジタルを捨て全面的にアナログに戻ることは出来無い。また純度、あれの価値を必要としない音楽ジャンルはたくさんあるのでマーケットでの多数決から見ると純度は軽視されていくのは不思議ではない。利便性や複製作成、いろいろな他の要素ではアナログよりデジタルは完全に優れている。しかし音楽で一番大事な要素、純度については比べることが馬鹿らしいほどデジタルはアナログに劣る。
しかしまだまだ頑張ろうと思う。
素人女子学生合唱による魔笛の美しさは例え難いものがある。
超一流の世界レベルの演奏より、楽しさ美しさが満ち溢れている。
音楽の不思議である。
しかしそのエッセンスを捉えているDATデジタルマスターをデジタルコピーしたとたんに
エッセンスは破壊されてしまう。なんとかそれを失うことなくCDにしてみたい夢はずっと残る。
私の腕は少しづつ進化はしているので絶望的ではない。
要するにすでに発売済みのマスタークオリティーCDRの作成技術くらいでは無理だということなのだ。
今更であるが、マスタークオリティーなんて名前を付けたことが恥ずかしい。
なんとかしなくては。
2014.10.2 追記
最後に書いた事柄で誤解があるといけないので追記しました。
マスタークオリティー既発売の2枚の音質がホンモノオリジナルマスターに達していないと言う意味ではない。
聴き比べて同等以上に仕上がっている。でもこれは音質上のことで物理的に全く同じという意味ではない。
現在入手可能な最高のCDR盤でも個々のバラツキはあるし、一枚一枚焼く時にもバラツキは発生する。微妙な音質差は
当然ある。
最後に書いた素人女子学生合唱の美しさの維持が難しいということであるが、世界的一流の合唱ならどうであろうか?
美人論で説明が可能であるが、一流の演奏は市販CDにしてラジカセで聴いても問題ない。音楽要素の数の上で
完成度が違うから市販CDになるのである。もちろん素人女子学生合唱の美しさの要素も有り、完成されているのは間違いない。市販CDではその美しさは両者とも消失してしまう。一流のほうは高いレベルの要素が残った市販CDとなる。素人のほうは残念ながら市販CDにしたら、値打ちのあるものは何も残っていない。関係者以外だれも買わないCDだ。
ずいぶん酷い表現になったが、これは現実である。
マスターでは音楽の美しさをせっかく捉えているのにコピーでは消えてしまう。
PAではいくら安物のマイク、スピーカーを使おうと時間軸の狂う要素はないので純度は損なわれない。
音色やゆがみが気になるのはウイーンフィルとか、ものすごく高いレベルでPAと生の差が気になるのだが。
あれ、純度についてはPAでは録音、再生とは全く違うのだ。
音楽もカンヅメになると香りと美味しさ、鮮度は残せない。
電気録音再生の時代になってからカンヅメの販売ばかりに夢中になって、美味しさと香りを残す努力を忘れておられたのじゃないでしょうか?メージャーレーベルさん、メージャーオーディオメーカーさん!と叫んでもこのブログは見てはくれてないでしょうね。
でも頑張らなくっちゃー。
2014.9.26
写真は音の憧れさんのアナログプレーヤー、コラーロ?デッカデコラに採用されていたものらしい。すでにEMT927やその他局用ターンテーブルをたくさんお持ちなのに最近惚れ込まれたものである。私も早く聴かせていただかなければと焦っているのですがーーーーー
それではオリジナルマスターとコピーの音質差の話の続きです。
マスターとその次のマスターコピーの音質差は非常に大きい。しかし良いように考えればマスターには充分に音楽が入るということである。市販盤作成のためのマスターコピーがオリジナルマスターと比べ酷く劣化するということになる。これはホンモノマスターを聴いた人以外は解らないことである。
アナログ全盛期でメージャーレーベルではどうだったのか。これまた知る限り同じことのようだ。
海外オリジナルプレスと国内プレスでは音質が全く異なっていた要因の一つでもある。貴重なマスターテープが本家の門をくぐることが無いのは不思議ではない。
例えばこちらのサイトではクラシック盤での音質差をとても詳しく調べておられる。
このウラニアのエロイカと呼ばれるフルトヴェングラーのベートーベンの英雄だが、LP、CDともたくさんの数の復刻盤がある。双方取り混ぜて100種類以上の盤をお持ちのMさんのところで最もマスターテープに近いと思われる復刻盤ではないオリジナル初期盤LPを聴かせていただいたことがある。選びだされた各国の復刻盤LPも5-6種類同時に聴かせていただいた。群を抜いて素晴らしい音がするのがオリジナル初期盤だ、値段を言うと興ざめだがこうやって後発盤と比べてみると納得がいく。そのくらいあれがあって、いやあれでなくて純度だった。演奏といい、音といい比較出来るものはないだろう。なにもコレクターアイテムだからプレミアが付くという理由だけではないと確信できる凄さである。
戦前の録音でモノーラルとなればステレオLPの全盛期の録音やアナログではなくてハイレゾ、DSDのスーパーオーディオと比較したらノイズと歪にまみれた狭帯域の昔の音だと思われる方が多いと思う。実はSPレコードの電気再生音の持つトランジェントに優れた音に価値を見つけ出した頃、LPレコードでフルトヴェングラーの復刻盤も聴いていたがSPと比べトランジェントでは遥かに劣るし優れたものは演奏以外に見出せなかった。上記リンク先でのランキング上位のMITHOSのように素晴らしい音の復刻盤CDがその頃はなかったせいもある。
Mさん宅でオリジナル初期盤を聴いて驚いた。フルトヴェングラーの録音は音が悪いものと思っていた私はなんと情けない、音楽知らずの思い上がりだったのか。冷や汗が出た。その後選んでいただいた良いと思われる2番目に出た後発プレスを聴かせていただいたがオリジナル初期盤のような音は出ない。もちろんCDも同じく聴いた。素晴らしい音質が認められているMITHOSのCDや他の復刻CDをいくつか聴かせていただいたがオリジナルLPとは比較にならないものだった。特にショッキングだったことはウラニアの初期盤でなく2番目の再プレスではかなり鮮度が落ちたことである。LPレコードはプレスの度にスタンパーが劣化する。鯛焼きの型と同じようなものだから角が丸くなっていき、500枚もプレスすれば音の鮮度が悪くなると言われているのは本当だったのだと解った。これを大きな差と言うか、わずかというかは問題ではない。このように芸術に関するものの値打ちはわずかの差なら問題にならないということなら、芸術というものの存在は無くなるからだ。型ダレだけではなくてマスターテープの磁気抜けによる劣化もあるらしい。スピーカーユニットのマグネットが経年変化により脱磁して音が小さくなるのと同じだ。伸びなどの変形も起こる。MMカートリッジの交換針を手前へ引っ張りだしてレコード再生すると音量が下がるだけでなく音がボケルのと同じ現象だろう。初期の音は時間とともに悪いほうに変化していくのだ。
続く
2014.9.8
オーディオマニアの凄耳
Mt.T2さんが音友達のところでマスタークオリティーCDR,有山麻衣子を皆さんと聴かれたとのこと。
驚いたのはCDRの音にバラツキがあると気づかれたことである。CDRというのは製造時にレーザー光線で反応する塗料を塗るのだが当然にその厚さ、濃度にバラツキが出る、また金型で材料を打ち抜く際にも当然バラツキがある。マスタークオリティーCDRで採用しているものは現在入手出来る最高クラスのCDRでプロの世界で認められている唯一のもの、価格は一般的なCDRに比べ約20倍で恐ろしく高い。これでも物理的なデーターを取るとバラツキがあり、音質は変化する。
もちろんCDというものはかける度に音が異なる.オーディオマニアの間では常識に近い。有山麻衣子マスタークオリティーCDR発売当初にブログで書いたがCDプレーヤーにローディングする際、これを2度行うことで音が良くなる現象もある。
生演奏が2度と同じことが出来ないのと程度の差はあれ、CDでも同じ音が出ないということだ。これはワインと似ている、一般的なものは同じ年、同じロットであれば一本、一本同じ味である。厳密に確かめてもわずかな差である。よく言えば品質にバラツキがありません。ところがヴィンテージものの上等は一本一本が味が違うのは当たり前で、秒単位でも味や香りが変化する。
良いものほど再現性がない。
Mt.T2さんの音友達は自動的に2度ローディングするCDプレーヤーをお持ちらしい。そんなものがあるとは全く知らなかった。おまけに上記のCDR音質のバラツキまで発見された、驚くべき凄耳である。でもメーカーとしては最高品質のCDRを採用していますがそれでも音質にはバラツキが有りますとはアナウンスできません。
いやご指摘どおり、品質にはバラツキが有ります、良いものは全て同じものは一つとして有りませんと次回からは書きたい気も?
立ち飲み屋は雰囲気が好きで高校時代から愛用しているのだが、大阪の北や南と違い雰囲気は強烈に濃い。
少しビビリ気味のKさんを勇気付けるのに気をつかった。でも彼も私の5年よりもっと長く近所の会社にお勤めであったから
抗体の数は多いと思うのだが。しかしこのような思いは吹き飛ぶようなパーフォーマンスが楽しめたのだ。
続く
2014.9.4
Oさんの出番の次はアコースティックギターと胡弓での演奏、Oさんの演奏が済んだので帰りかけたがなんとなく聴く気になって残った。メロディーよりリズムが主でギターの表板を太鼓にように叩いて、弦も一緒に鳴らしていたようにも思うが?マイクを弦に触れんばかりに、サウンドホールとマイクを近づけていた。演奏が始まる前に何度かとても大きな音でハウリング音が何度も聞こえていた理由が後から理解できた。こういうハウリングは玄人の世界では一度は聞こえても何度もあるものではない。
満足出来る以上の音圧でアコースティックギターの微妙な音を出したのである。この気配りはもちろん演奏に反映された。彼の演奏に私の脳は支配されっぱなし、もちろん他の方も塾縛されていた。終わりのほうになってふと思った、録音したらどうなんだろう、否定的な思いしか浮かばなかった。最近ずっと考えている、あれ。電気録音再生で消えてしまう演奏音の要素?この部分が非常に濃厚な演奏であった。その音楽要素、音の絡み、倍音、ハーモニー、和声とかに関係するのは間違いない、またパルスの位相の変化も深く関係しているように思える。
これらの要素をあれと表現してみてきたのだが、あまりに抽象的すぎる。もう少し適切な言葉はないのだろうか?音楽的なんて言えばあれというよりもっと人を馬鹿にしたような感じが有り過ぎる。そこで考えた、これは純度そのものだ。純度と言えば上記の個々の要素を含めてくれる。電気録音再生、特にデジタル録音再生が生演奏の純度を維持できない現象だ。結局は何も解ってはいないような表現となるのだが仕方がない。ではPAではその純度が落ちないのだろうか?
この話をクラシックが主のオーディマニアの方にするとPAの音害について話された。ウイーンフィルみたいなレベルの演奏をPAでやるとひどいものになるとのこと。異論はない、あのデリケートな音を完全に出せるスピーカーもマイクも存在するとは思えないので当然だ。しかし今回の西成ライブの話とは少し異なる。音色とかのそれではなく音楽のダイナミックな部分での純度である。デジタル録音再生ではダイナミックな部分で純度が維持されないが、アナログだけでのPAなら純度はそれほど破壊されないのではないのではなかろうか?
パルス成分の位相の純度、倍音、音階や和声の変化を招く時間軸の揺れ(いわゆるジッターとかでなくもっと厳しく定義したなにか?)、電気録音再生特にデジタルでの録音再生は音楽に大切なダイナミック純度というポイントではPAやアナログ電気再生、蓄音機によるアコースティック再生などより遥かに苦手なことが今まで認識されてはいなかったのが答えではないのか?
多分正解だと思う。
2014.9.3
親友の大道芸人、Oさん(5曲目演奏)からお誘いがあった。
「○○さま 西成の典型的な立ち飲み屋,難波屋の奥になぜかグランドピアノが
おいてある。僕が参加するのは2回目の、ライブがあります。面白いとおもうの でぜひ」
ぜひと最後にあったので昨夜でかけた。一人では少し不安感もあるので誘う人を
探したが場所といい、内容といいそう簡単には思い浮かばない。牧師さんの友達で
雰囲気に違和感の無い方がいたが今は東京。もう一方おられた。なんと中学校と昔5年間だけ勤めた会社の両方で、ダブル後輩の人Kさんだ。
景色に溶け込むのが安全と、いつものジーンズによれよれの半袖、それに首手ぬぐいを加えた。人生で唯一のサラリーマン体験した会社も偶然にこのあたりにあった。だから若い時に空気で抗体が訓練されていたにも関わらずやはり体に力が入った。しかし抗体の記憶のせいか過剰なアレルギー反応はない。
2014.8.29
さてベヒシュタインの大阪地区代理店、ピアノプラッツさんを訪ねたと時のこと。一応楽譜は持参、ドレミファだけなら手ぶらでも良かったのだけれど、ピアノの先生は何も恥ずかしいことはないのだから持って行きなさいとおっしゃったので勇気を持って臨んだ。もちろん強烈にびびりながらだが。まず最初にグロトリアンのアプライトを弾かせていただいた。おなじみとまではいかないが何度かお目にかかったことがあり、端正な音がしたのを覚えている。自宅のヤマハアプライトと比べ美しい可愛い音が出る。次はその横にあるベヒシュタインのアプライトである。うーん!生まれて初めてのベヒシュタインであるがグロトリアンより、はるかにピアノ的で力もある。ベヒシュタインのほうが大分に格が上だったのだ。価格は国産の普通乗用車が買える値段、今の私にはすぐには買えない値段ではあるが高いとは思わない。同じようなクラスの国産アプライトと比べたら、音楽的な意味で考えると適切な価格であると感じる。まあどうせ買えないのだから値段は忘れて、弾ける楽しみに専念する。
3オクターブ下のドレミファを鳴らしてびっくりした。自宅のアプライトだけでなくて他所での数少ない経験で知っていたこと、アプライトピアノというものは左端の低音キーがすごくオンチでまともな音階が出ないという認識。それが間違っていたことが瞬時に解った。アプライトピアノの構造ゆえの低音弦長さ不足による倍音の不完全さがあると勝手に思い込んでいたおろかさ。ベヒシュタインではきちんとドレミファが鳴るではないか。これはきっとベヒシュタインが特別なのではなかろう。他のメーカーの努力が足りないのか、それとも技術力が無いのかそこは解らないが。(後日国産のピアノで確かめてみた、なんと中型のグランドピアノなのに低音弦のドレミファが曖昧だった、もちろん拙宅のアプライトほどではないが。聴律のせいではないと思う、低音弦の倍音構成が不完全なのではないかと思う、今度ピアノプラッツさんに行ったときに質問してみよう。)力強くかつ美しい音だがすぐ欲しいかというとそうでもない、音色の美しさはさておき、このくらいの価格なら国産の小型グランドのほうを選びたい。そのうちコードを覚えてジャズも弾きたいので音色だけでは決められない。グランドピアノの内部をいじくりたおして改造するに決まっている。ベヒシュタインだともったいなくって手がつけられないので楽しみが減ってしまうのも嫌だ。
次にもう1ランク上のベヒシュタインアプライトを弾かせてもらうのだが、この後に本物のカルチャーショックが待ち受けていたのだ。
続く
2014.8.27
スタークオリティーCDの第二弾はUniclaに決定した。クラリネットとアコースティックギターのデュオである。長崎亜希子さんのクラリネットの音が素晴らしいのでどうしてもマスタークオリティーで販売したかった。幸運にもマスターCDRをお借りすることが出来た。ところがその後とても難しい難題が待ち受けているとは夢にも思わなかった。彼女の演奏するクラリネットの音色が多彩過ぎてマスタリング機器と私の感性を遥かに越えるものだったからだ。
しかし今朝やっとめどがついた。理由はクラリネットという楽器は閉管で偶数次倍音が無い、音色がもともととても複雑な楽器なのと長崎さんの演奏技術の高さで音がデリケート過ぎるのだ。説明するのにたとえ話で解っていただけるかどうか?オーディオでは何をしても音が変わるのだが、例えば彼女の生の音色が再生音で99%の満足度で鳴っている装置があるとして、メインアンプの真空管をオリジナルのRCA球からテレフンケン球に交換したとする。もちろんどちらの球もヴィンテージものでマランツのアンプに使う限り甲乙付けがたい良い音のするものとする。ところがUniclaの再生に限って音質を追求するとこの二つの球の音色差が彼女の演奏音を生き死にさせてしまうのである。テレフンケンにしたとたん再生音は30%くらいの満足度でしか聴けない情けないものになる。テレフンケン球特有の豊かな倍音がマイナスに作用するわけだ。モダンジャズ専門のオーディオマニアが決してヴィンテージのタンノイGRFを選ばない理由が思い浮かぶ。クラリネットの持つ奇数次倍音構成の音質がアンサンブル能力を捨てジャズの世界に溶け込む楽器としてサキソフォンへと進化したのも当然だ。
これを機会にネットでクラリネットについてかなり知識を得た。この楽器をこなすにはオーディオのノーハウとは比べ物にならないくらいの感性と工夫が必要なのも解った。デリケートな調整をみてもオーディオと音楽の壁はとても大きなものだと理解できる。オーディオに興味のない演奏家や音楽愛好家ではオーディオは演奏の代用品にならないと捉えられている方がけっこうおられる。食わず嫌いではなくオーディオの現状への期待が無いだけなのかなとも思ってしまう。
上記はもちろんたとえ話なので実際はこのくらいマスタリング機器のチューニングが難しかったということを伝えたいだけでリマスタリングで具体的に真空管の差し替えを行ったわけではない。前作の有山麻衣子さんの声ではこれほどの苦労はなかった。長崎さんのクラリネットほどの特長も強い個性を持たない反対のベクトルだったからだろう。というわけで第二弾も自信作である。乞うご期待。
美人とそれなりの方に現実でお会いした場合にはそれなりの方のほうが圧倒的に魅力的だということがあっても不思議ではない。現実ではカメラのレンズで捉えられない、香りやフェロモン、動作、そして立体視による距離感、未知の要素?などがあるからだ。音楽の生演奏にだって音の構成要素には同じようなものがあるのは間違いない。一体何であろうか?今回の未編集マスターにあって、編集したら殆ど残っていない要素、私のカンではアナログとデジタルの差にいつも出てくるあの要素だと感じている。
SPレコードの蓄音機による再生、クレデンザやEMGでの再生音、歪やノイズも有り帯域の狭い音だが
超高級、超高価格のオーディオ機器が全く及ばない現実感、これもあの要素のせいだ。
残念ながらオーディオマニアの中には、いやそれだけでなく合唱の世界だけにいる声楽家の中には蓄音機再生のあの要素に興味ない方は時々おられる。
魔笛の未編集マスターを聴いた時に戻っての話だが、手持ちのCDでザバリッシュ指揮、バイエルン国立歌劇の演奏が見つかったので同じくらいの音量で再生してみた。予想以上に驚いた、まるで絞りかすのような音楽が出てきた。シュライアーをはじめ素晴らしい面々での演奏、なるほどちゃんと歌えているしフレージングも完璧、でもさっきのあれが全くない。あれとはなにか?そう音程を少々外そうが、音楽であれば楽しい生演奏の魅力。超一流の演奏でも普通のCD音なら素人演奏のマスターに負けるのか?もちろん上手い、下手を意識して聴けば聴くポイントが変わるのでこんなおかしな現象は脳裏から消えるかもしれないが。上手い、下手を意識せずどちらが楽しいとかどちらが美しいとか、またどちらが感動するかなどにポイントを絞れば超一流が素人に負けるという不思議が起きる。しかしハンディなしの対決でどちらもCDの場合、どちらもマスターの場合にはこんなことが起きるわけもなく、大人と子供以上の差が付くのだろう。悲しい現実である。
音楽の美しさは今までの録音媒体では最後まで伝わっては行かなかったようだ。それではアナログレコードの時代では音楽の美しさは最終まで伝わっていたのか?デジタルよりこの要素はかなり伝わりやすいとは思うが鮮度の劣化があるのでマスターの持つあれはそのままは伝わっていなかったと思う。優秀な録音と演奏でオリジナル盤の初期プレスではあれが現在のデジタル媒体と比べ色濃く残っていたのは間違いないが、それとて同じ録音のマスターテープと比較すれば今回の不思議と変わらない現象があるだろう。
早速宇野功芳さんに電話をした。上記の内容を手短に説明してかなりのショックを受けたことを伝えた。
宇野さん曰く、よくそこまで貴方は成長したものだびっくりしたよ。当然のことだがあちらは指揮者、音楽評論家でオーディオはマニアではないがマニアを越える判断力はある。こちらは音楽家でも評論家でもなくてオーディオマニアあがりのオーディオプロなんだから見下されていたのは仕方が無い。
少々腹が立ったので、付け加えた。そりゃ自分の演奏だからその時の印象は記憶されるし、意図した内容も当然聴くポイントにある。CDになった時再生しても頭で補正して聴いているのは間違いないと思う。こちらはそんな経験なしにCDを初めて聴いたのだから先入観も無く本当の評価が出来ていたと思う。この現象は音楽の秘密に違いないと言ったら、そのとおりだと同意された。
ともかく未編集マスターを元に出来るだけ忠実にこの音楽性をCDにしてみるから待って欲しいと結んだ。
もしマスターシリーズに加えることが出来るなら、アマチュアの演奏で上手さを少しでも期待される方は購入してはいけないとか、一流の演奏者の魔笛を聴かれていてそれと比較してみたいと思われるなら購入してはいけないとか言い訳を書いておかないとだめだろうな。
それこそ素人女学生の演奏の魔笛CDで一流の演奏家によるCDより優れた音楽や美しいハーモニーが聴けるなんて言えば世界中の音楽愛好家からどんな目で見られることか?いや日本のオーディオ界でもますます肩身が狭くなっていくに違いない。それよりマスタークオリティーシリーズに加たらいったい何枚売れるのだろうか?
この話を読んで興味をもたれた方はぜひご連絡ください。でないとまあ自分のエネルギーだけでは実現困難なのは間違いない。少しでも興味をお持ちの方がおられればぜひ私目を勇気付けてやってください。コンタクトをお願いします。
2014.8.19
マスタークオリティーの第二弾はアコースティックギターとクラリネットのデュオにほぼ決定した。録音したのは私ではないが素晴らしいマスターが入手できているので全く問題なくマスタークオリティーCDRが出来ると思う。第三弾も音源をいろいろ探してはいるが盆休みの最終日驚くべき体験をした。宇野功芳さんが以前に録音したアマチュア合唱のモーツアルト魔笛なのだが、CDを聴いて演奏も音質もとてもマスタークオリティーシリーズに入れるようなものではないと感じたので、探してもらったマスターDATテープも聴くのが休みの最終日になってしまったのである。
まず最初にCD作成のための編集済みDATマスターテープを聴いた。CDの印象とは大きく違って音質は許容範囲に入っているではないか。気をよくしたので未編集のマスターを聴いたところでショックを受けた。私が取った録音での未編集と編集マスターの音質差よりもっと大きな差がある。未編集マスターの音があまりにも素晴らしいのである。これなら素人の私が出しゃばって録音しましたなんていうのが恥ずかしくなる。やっぱりプロの人がやるとこうなのか?マスターと製品版CDの音質差は私が感じているよりプロの現実世界ではもっと大きいということなのか?
CDで聴いた魔笛ははっきり言って下手である。とても代金をいただいて販売出来るようなものではない。演奏だけでなくて音もどうにもならない。それがひっくりかえってしまった。困ってしまうではないか、いったいどうなったのか?しばらくして冷静さを取り戻した。全国で催されるコンサートは毎日どのくらいの数なんだろうか?それこそCDにはとても出来ないレベルの演奏が多いだろう、殆どと言っては失礼になるのだが、もちろんクラシックというジャンルに限っての話だけれど。ではそれらを聴かれた方は皆さん不満足なんだろうか?絶対そんなことは有り得ない、生演奏というものは幼稚園の生徒がピアノを弾いたところでそれなりの楽しさはある。でもいくら上手に録音したって、いや高音質録音になればなるほど稚拙さが目立って親やおばあちゃんでしか喜べないものになってしまう。では高いレベルの技術を持つ高校性のアンサンブルなどはどうなんだろうか?そこそこピアノが弾ける音楽好きの中学生(これが重要である、音大へ行こうと頑張ってピアノを習っているのではなくて本当に音楽が好きな中学生)の演奏などはどうなんだろう。どちらもそれなりに幸せな音楽が楽しめると思う。
どうも飛び切りの美人を写真に撮るのと似た現象が起こっているのではないか?カメラマンがへたくそでも美人はそれなりに作品になる。またピンボケになってもそれなりに絵になる。でもそうでないモデルさんでカメラマンが下手ならどうにもならない。上手なカメラマンならそれなりに作品となる。しかしピンボケにすればどちらも救いようはない。
音楽でも同じようなことが起こっているのではないか?
続く
2014.8.5
ベヒシュタインが弾けるという楽しみがやっと実現した。先週の土曜日だった。ピアノと言えばスタインウエイ、ステージピアノとして世界中に君臨している。一流の演奏家の殆どはこのピアノを弾く。自分のピアノを演奏旅行で持っていくことが簡単には出来ない事情もあるだろうがあえて他のピアノを気に入って選ぶという人は非常に少ない。現代ではスタインウエイが一流レベルの演奏家の標準となっているのは間違いない。CDもLPも殆どの録音でスタインウエイが使われている、特にステレオになってからはそうだ。本格的な電気録音の時代になったのが戦後だから、多分スタインウエイも同じく戦後に世界のステージを独占することになったのだろうと想像する。ピアノの製造台数のもっとも多いのがヤマハだがステージでのスタインウエイの独占を揺るがすことは出来ない。企業としての力はヤマハのほうが上でも戦略的なマーケティングだけでは覆すことは不可能だったのだろう。メカニズムが優れ演奏者の演奏意図を反映しやすいという利点があっても音ではスタインウエイのレベルには到達できてはいなかったのだろう。ではスタインウエイは本当に世界最高の音の出るピアノなのか?実はこんな風に真剣にスタインウエイの値打ちを考えたことはなかった。いや考えようとする以前に世界最高のピアノとして誰もが認めていると勝手に思い込んでいただけなのかも知れない。他の有名なピアノ、ベーゼンドルファー、ブリュートナー、めったに現物を見ることのないフランスのピアノやイタリアのピアノもある。世界的に有名なピアノは一流演奏家の音に優劣を付けるのが無意味なのと同じでピアノの一流もいろいろあるのだろうと勝手に思い込んでいた。
でも心の底ではスタインウエイのあのキラキラした高音(アリコートブリッジの音なんだろうと勝手に思い込んでいた。)と敏感な鳴りっぷり(フレーム設計が巧みで軽く、鉄の成分配合の秘密でヤマハやカワイと比べフレームが鳴り易いと勝手に想像していた。)については私の考えと感覚は100%良いこととは認めてはいなかった。伴奏楽器として歌や弦とはしっくりいかない何かをいつも感じてきた。しかしピアノはチェンバロやオルガンとは違う世界の鍵盤楽器なのだと思っていたから表面に疑問が浮かび上がることがなかったのである。
キラキラしてよく聴こえる、決して刺激的とまではいかないきらびやかな音。近代建築を思い浮かべるようなクールな音のイメージがスタインウエイだった。製造年代の古いスタインウエイなら少しは弦楽器的な音に近づくのかもしれないがやはりスタインウエイの特長は古くても高音の倍音が少しズレたニゴリ?のある音として感じられた。言い換えれば装飾的な不協和倍音、雑音が多すぎるように思えていたのである。別な見方をすればオルガンやチェンバロから抜け出して近代化した鍵盤楽器と言えるかもしれない、しかし歌や弦楽器は近代化してはいないのでそれらとアンサンブルする目的からするとスタインウエイはピアノの理想から遠ざかったのではないか。もちろんその見返りとしてクラシック以外の広いジャンルの音楽、現代の音楽との演奏に適したものになっているのかもしれない。マーケットの殆どがスタインウエイの音質を求めていたのも否めない。
続く
2014.7.14
この現実に悩み悩みながらなんとか我慢の出来るダウンコンバート?方法にたどり着いた。先日の有山麻衣子のマスタークオリティーCDRはダウンコンバートもアップコンバートもやりようの無い44.1KHz16bit録音だから単にラッキーだったのだろう。今となっては恥ずかしい話だ。
だが先日録音したクラシックギターの録音は次の超超高音質CDR?の実現を可能にするかっこうの実験ソースでとなったのだ。物理的には当然のことなのだが96KHz24bitのマスターをデジタル処理なくそのまま再生するのが我が家で(細かいテスト、最終判断は会社でなく自宅のリスニングルームで行う)最高の再生音になったからである。
44.1KHz16bitと内容をダウンしたCDRの再生音と96KHz24bitのマスターの再生音がそれほど変わらなくなってしまった。変わらないと言うと100%誤解されるだろう。では物凄く変わったと言えば誤解はされなくてやっぱりなーと納得されるのが普通の思考だ。どちらも本当なので言葉で音質を伝えるのは難しい、いや音だけでなく感性の処理によるものの全て言葉では表現しきれないのであるが。
あえて表現すれば各弦の余韻が細かく聴こえながら弦同士の絡みが、ゆれが聴こえる。生演奏では聴こえているはずの非常に細かい部分が44.1KHzでは無くなっているとも言える。しかし音色とかおよその部分ではなにも変わらない。演奏者から距離をおいたのが44.1KHzの再生で演奏者のすぐ前で聴くのが96KHzと言ったら理解していただけるだろうか、ただし距離をおいて音圧が下がる分は音圧を同じと想像しないといけないが。
それくらいにオーディオ的な変化は少なく、演奏での細かい音の絡みが96KHzのほうがたくさん聴こえるという意味である。音源から遠ざかると音圧が下がるだけでなく細かいニュアンスは無くなっていくというあの現象である。
会社のオーディオシステムならこのように聴こえない。96KHzマスターの直接再生の音のほうが鮮度感がありその場の空気感、エコーや定位まで差がかなりつく。会社のオーディオシステムの音質はいくら自分が音楽を楽しむように追い込んではいないと言っても通常のオーディオシヨップで数百万円のシステムを組んで出てくるようなレベルではない。一般のオーディオ装置なら96KHzマスター再生はびっくりするような音質と感じられオーディオ的にも44.1KHzとかなり差が開くのは間違いないと思う。
理屈だけで考えても自宅での上記比較の結果は決して不思議でなく当たり前のことだ。電気が介入する演奏の録音ではこのような結果にならない場合があると思う。この結果はあくまでアコースティック楽器、すなわち電気の介入しない演奏を録音した場合である。
ハイレゾなど品質の高い音源を鳴らしてみたらアナログレコード再生と比べて遥かにいい音が出る場合はそのオーディオシステムはまだまだチューニングの余地が残されていると言うと愉快に思われない方はたくさんおられるだろう。どうか怒らずに最新ニュースと参考にしていただきたい。ただしあくまでヴォーカルマイクさえ使用しないアコースティックな演奏をワンポイントマイクで録音した録音に限った話である。
追記:ギター録音44.1KHzのCDRを聴かれたギター製作家の内お一人が驚くようなことを言われた。
まるでセゴビアの演奏を聴いてるようなところがある。帰宅して確かめるべくSP復刻のセゴビアのCDを聴いた。
帯域は狭く雑音の中に浮かぶ音楽は彼しか弾けない。全てが完璧なギターの神様みたいな人だから、周波数特性や歪とか不足だらけの再生に完全な音楽がある。一方今回の44.1KHzの中にもオーディオ的には不足ない中で通常のデジタル再生では聴けないセゴビアみたいな音楽が感じられる。CDRを聴かれたもう一人の方はこう言われた。今まで聴いたクラシックギターのCDではギターの音がしてなかったと。共通項はなにか?そうです、これがアナログとデジタルの大きな違いにオーバーラップしていくのです。
マスタークオリティーで世に出したい気持ちはいっぱいなのだが?
2014.7.10
ハイレゾ
上新電機の朝倉さんが詳しく書いておられる。オーディオはハイレゾの世界に突入したというよりハイレゾに関連したものしか売れない時代なのだろうと思う。
過去に44.1KHz16Bitで録音した有山麻衣子の唄をもう一度よみがえらせようとマスターから出来る限り音質を保ったCDを世に出したら成功した。発売してほぼ2ヶ月だが評判が良いのでまだまだ売れると思う。有り難いことである。このCDの音質はハイレゾに匹敵すると言われる方は何人もおられる。それならハイレゾの存在価値がなくなるではないか?もちろん現状の市販CDの音質と比べるだけならだれが聴いてもハイレゾの方が遥かに音質が良いと言う事実は間違いない。ハイレゾが優れる点とは一体なになのか?
つい最近のことだがハイレゾでクラシックギターを録音してそれを音質の劣化、音楽の劣化(音楽質、音忠質両方の劣化)を最小限にとどめながら44.1KHz16bitのCDにする方法を見つけた。最初はハイレゾで録音しておけば器を小さくするだけだから問題はないと思っていたらとんでもない思い違いであった。ハイレゾの情報量と帯域感を少し失うくらいでCD化が出来ると思ったのが大間違いだった。一言で言うとダウンコンバートやビット数の変更を行うと音楽質が破壊されるのである。それも極端な破壊だ。ハイレゾ化で良くなった部分は極めて解りやすいオーディオ的な変化である情報量の増加や広帯域感である。音楽を聴かないで音の変化を楽しむだけの人にとってはハイレゾの価値があるのは当然である。音楽をとやかく言わないならハイレゾはオーディオ的には音質が優れた良いものであるのは間違いない。購入して聴きたいものが少ないだけの話である。もちろんアップコンバートでも錯覚的な情報量と帯域感の少しの増加はあるのだが、この時の音楽破壊はダウンコンバートほど酷いものではなかった。我慢の出来る範囲になんとかあったのがアップコンバート だった。情報を増やそうとするより情報を減らすほうが音楽破壊が大きいとはなんと皮肉なことなんだろう。
(CD時代の初期に一部のオーディオマニアが行っていた方法、CDからカセットに録音内容を移動すること。CDの酷い音でなんとか音楽を聴きたいというけなげな気持ちを考えると涙が出てくるくらいだ。今はもう無くなってしまったNAKAMICHIのカセットレコーダーがオークションでびっくりするような値段で取引されている事実をオーディオメーカーは知っているのかと言いたくなる。)
ダウンコンバートの弊害はアナログレコーダーからデジタルに変換時に必ず起こる音質劣化(音楽破壊)と同じようなものだった。どうしても許せない劣化である。
続く
2014.7.3
先日の録音結果は?
いくらスチューダーのアナログレコーダーで76cm/秒というテープが切れてしまいそうな高速で録音してもCDにすれば音質は全く違うものになる。
同じようなことがDSDやハイビットハイサンプリングでの録音でも起こる。デジタル変換やダウンコンバートで44.1KHz16bitの器になったとたんに音楽が破壊される。
演奏家と録音技師が入魂の技を見せてもそれはCDを聴く人には伝わらない。デジタルという技術はなんという未完成なんだろう。
流行のPCオーディオでDSDや超ハイビットハイサンプリングを駆使しての再生はアナログレコーダーのマスターテープの再生音に匹敵するのか?残念ながら絶対にそんな結果にはならないのだ。
理由は簡単だ。高速のアナログレコーダーに劣らない情報量とその他優れた物理特性に反して、情報パルスの再現性にはデジタル固有の時間軸の曖昧さがあり音楽を破壊する。
アナログでは有りえない極めて短い時間内での時間軸変動は演奏内容や和声、アンサンブル表現に大きなマイナス効果を与えてしまう。
これらの事実に絶望しているだけではいけないと今回の録音を決行した。世の中がデジタル一色になってからずっと頭の痛い現実への対処法を考え続けていた。
少しは運も開けてきたのか、今回の録音では自分でも驚くほどの好結果が得られた。
もちろんハイビットハイサンプリングで録音したわけだがCD化して今まで聴いたデジタル再生の中でも最高の音楽が鳴った。
アナログマスター再生の品質が天上のものではなくやっと地上に降りてこられたと思わず宗教くさい表現をしたくなってしまう。
この録音はなんとか世に出したいのだが、制約はたくさんあるな。